もし私の性器が蚊の針ほどの大きさで、
相手の女性が小さな性器に全く気に障らなかつたら、
屈辱も苦痛も与へなかつたら…
気づく事すらなかつたら…
よくある男女のやうにもはや相手に何の魅力も脅威も感じなかつたら…
ただ性器をこすり合はせてるに過ぎないのなら…
レイプどころか、性行為と呼べるのか、
蚊に刺される方がよつぽど嫌がられる程、刺激的かもしれない。
其れ程、人は幻想に囚はれてゐる。
性的幻想といふより、
実際には「性器」幻想と言つた方が正確…
実際、性器だけが性的で魅力的とは限らない、
感受性が豊かなら、林檎をかじるだけでも十分に感じるだらうし、
或、大地を歩くだけでも快感を感じるだらう。
否、快感ならいづこから…
放尿にだつてひとは十分に快感を感じるし、
呼吸をかみ締めなければならない程死にゆく輩もゐるだらう。
苦しみすら求め、
苦しんだふりをしながら、
其れ程全方向に感覚的豊かさがあつたなら、
レイプなど面倒な事などしまい。
まして寿司飲食、薬剤、タクシー、ホテル、
更に罪に問はれるリスクまで必要なのだから。
ま、信じる事は面倒な事、
飲食も安価なマツクではなく、寿司か鰻か焼肉か、
ホテルも、好みの衣装も靴も足袋も眼鏡も、
面倒な物語。
面倒な事に価値を見出して、
面倒にも嫌がる人を相手にするもの。
会ふなり足を開き、即挿入させてくれる人がゐたら、
即勃起する間もないし、
少しの勃起も出来ないだらう。
そもそも、勃起。
勃起して挿入する事だけが性行為ではないが、
現代は勃起信仰も強い。
そして其の信仰が障害をもたらす。
性器信者に、
勃起信者。
そして何よりも、
性欲信者、
欲望信者、
我慢信者の群れの中、
でも、其れももう終焉を迎へるだらう。
といふのも、騒ぎが大きくなればなるほど、
其れは終焉の知らせなのだ。
愚かな信者が終焉の知らせ。
其の心の騒ぎも、もう終焉を迎へる。
其れがうるさく感じたなら、
其れが終はりを迎へる準備が出来たといふ事である。
騒ぎは収まり、
頁がひとつ開くだけ。