或日、何気なくやつてきたうつ病の友人からのメツセージで、
私までうつ病になつてしまつた。
動揺せずにはゐられなかつた。
うつ、不安、神経症は告白する。
告白する事が神経症的。
年を重ねなければ神経症になれないのも、
記憶を重ねた人が独り言を続けるのも、
起因同様。
人は不安神経症的である。
人は無駄に話すのだ。
先ずは心が無駄に話し始めるのだから…
勿論人が作る歌も神経症的、
無駄に人は歌ふ、
歌は心を豊かにするとか、
なんて不要な事を言ひ出す始末…
もしあなたを豊かにさせるものがあると信じてゐるのなら、
もちろん其れはあなたを貧しくも、不安にもさせるだらう。
そしてあなたが豊かになりたいのなら、
豊かさなど信じる必要などない、
僅かの内なる知性、知恵が在ればよい。
ひと処に一時のしづけさを見つければよい。
大いなる歌や踊りも、根拠ある概念も必要ないし関係ない。
内なるしづけさだけが必要。
あなたは既にひたひた。
でも、
心は心に動かされ、
うつはうつを、不安は不安を動かす。
愛は愛を、キスはキスを、動揺共振させる。
私の中に心もうつも不安もないとは言ふまい、
私も当然動かされる。
私は直ぐに家を飛び出し、友のもとへ駆け出してゐた。
もし、あなたがうつや不安、
または愛にまでも突き動かされたくないのなら、
誰からも遠く離れなければならないし、
あなたの内部に誰からも届くことない孤高のハートを据へなければならない。
さうしてはじめて、うつや不安を躊躇なく観察出来る。
気を取られないとは、さういふ事である。
うつ、不安、
もちろん信仰。
其れを暗黙の中、宣伝広告したのが近代。
今やうつや不安は宣伝も広告も要らない程蔓延し、文化となつた。
文化とは一般人の狂信。
其の一般人といふ狂信者たちが根拠の薄い宗教など必要とはしない、
神様も其の物語も狂信者にとつては物足りないし、
そもそも狂信家が容易に転向したり出来まい。
確固たる根拠や既存科学にしがみつくのが精一杯。
さて、私は友の家までたどり着くと、
いつも通り友と過ごし、
うつなど完全素通りして帰路につく。
なす術などある訳がない。
だが私は世界でいちばんうつに近い場所にゐる。
私とうつはいつも一緒。
さういふしづかな意識。
其れは自負に過ぎないが、
本物のプライド、虚勢、嘘、
嘘を信じて疑はない程の強迫妄想。
誤解の海に飛び込み、全身全裸がひたひた。
病は医者が、医療が、製薬業界が、薬剤が、
そして其の無自覚な信仰が連れてくる。
多くの根拠や症例を連れてやつてくる。
しゆびどらんらーん。