血中性ホルモンの増殖 | Il nome della rosa

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フィギュアスケート男子シングルのファンです。
羽生結弦選手を応援しています。
個人記録用ブログ

昨年7月に出版された、小川洋子先生のエッセイ集「とにかく散歩いたしましょう」を年末年始に読みました。


とにかく散歩いたしましょう/毎日新聞社

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小川洋子先生、人気作家さんですね。


代表作に「妊娠カレンダー」「薬指の標本」(20代の頃好きでした)


そして一番有名なのは、 映画化もされた「博士の愛した数式」ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E6%B4%8B%E5%AD%90

また昨年末に発売された12年ぶりの作品「ことり」。アマゾンのレビューもなかなか良く、近々読んでみようと思っています。


エッセイっていいですね。長くても5ページくらい。


忙しくてもちょっと読めてしますし、ベットにもぐり込んで寝る前に読んでも良し。そして、いつでも中断OK。


でも小説はそうはいかないですね。面白い本は翌日仕事だと分かっていても時間を忘れて読んでしまいます。


さて、話を戻して、小川先生のエッセイ集に素敵な作品を見つけたので、作品の一部をご紹介させていただきます。


スミマセン、今日は長いです。



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「血中性ホルモンの増殖」   小川 洋子




岡山県倉敷市に素晴らしいフィギュアスケートの選手がいる、という噂を初めて耳にしたのは、

二〇〇〇年に入って間もなくの頃だったと思う。

当時、その選手が練習しているスケートリンクのすぐ近所に住んでいた私は彼に興味を抱いた。

冬のスポーツとは縁遠い温暖な倉敷の、しかものんびりした田舎のスケートリンクから、

全国に通用する選手が生まれたことが誇らしかった。

ところが彼、高橋大輔は、全国どころかたちまち世界に飛び立ち、

二〇〇二年、日本人男子として初めて世界ジュニア選手権で優勝するのである。

 

その頃高橋選手に取材した山陽新聞の記者が、偶然独り言のように漏らした一言が今でも忘れられない。

 「世界で一番になってもまだ、自分にどれほどの才能があるか、気づいていない少年なんです……」

それを聞いた時、彼を応援していこうと心に決めた。

自信満々な人は放っておいても大丈夫だが、自分などまだまだ駄目だとうつむいている選手

ほど応援する甲斐がある。

あなたは自分が思う以上の感動を人に与えているのですよと、そっと耳元でささやきたくなる。


以降の高橋選手の活躍については私などがあれこれ言う必要もないだろう。

フィギュアスケートでよく言われる芸術性について、初めて「ああ、こういうことか」と納得させてくれたのが彼だった。

過去、表現力に秀でた選手は何人もいたが、私にはどうも無闇に体をくねくねさせているか、

大げさに顔の表情を作っているだけのようにしか見えなかった。

しかし、高橋選手の滑りには確かに、人間の体がこれほどの美を表現できるのか、

と観る者の心をわしづかみにするような凄味がある。

 『オペラ座の怪人』も『ロミオとジュリエット』もヒップホップ調の『白鳥の湖』も好きだった。

けれどどうしても一番をつけるとなると、やはり今シーズンのフリープログラム『道』になるだろうか。

録画したバンクーバーオリンピックと世界選手権での演技を再生するたび、

三十年近く昔、早稲田のミニシアターで観た映画『道』の場面を思い出す。

幌の隙間から顔をのぞかせるジェルソミーナの切なげで愛らしい瞳、

「ザンパーノが来たぞ」と言いながら彼女が打ち鳴らす太鼓の哀しい響き、

その彼女の死を知って浜辺で号泣するザンパーノの背中。

そういったものたちが次々と浮かんでくる。人間の愚かさと健気さを思い、なぜか涙ぐんでしまう。

 いつしかそこが氷の上であるのも忘れ、これは音楽が誕生したと同時に、自然に大地からわき上がってきた踊りであり、

彼はただ大地の躍動と共鳴しているに過ぎないのだ、との錯覚に酔いしれる。
 
なぜ泣くのか自分でも分からない。

そうとしか説明できない。私の目の前で、一人の青年がただスケートを滑っているだけだというのに……。

 


さて、人間がなぜ言葉を獲得したのか、その過程を明らかにするため、

生物学的に小鳥の鳴き声を研究している岡ノ谷一夫先生の著書『小鳥の歌からヒトの言葉へ』(岩波書店)

を読んでいたら、面白い記述に出会った。

ジュウシマツのオスはメスに求愛するため歌をうたう。メスはその歌を聞いてオスの品定めをするのだが、

単純で面白味のない歌より複雑で高度な歌の方を好む。

実験の結果、複雑な歌を聞いたメスは血中性ホルモンが増殖することが分かったのである。
 
たぶん鳥の求愛ダンスでも同じことが言えるのだろう。綺麗な色の羽を見せながら、軽快なステップを踏み、

くちばしを揺らす。他のオスが誰もできない難しい技を繰り出す。

自分を受け入れてほしいと願う気持ちを伝えるためだけに、ひたすら踊り続ける。


敵が襲ってくるかもしれない恐怖にさえひるまない。



高橋選手の演技を見て泣いてしまうのは、もしかしたら

言葉を持つよりずっと昔に出会った、求愛の歌とダンスを思い出すからかもしれない。

どこか遠い森の奥、空は澄み、風は優しく、梢から漏れる太陽の光が地面で輝いている。

生き物たちの気配はあちこちに潜んでいるが、あたりの静けさを乱すものは何もない。

私を包む世界は今よりずっと簡潔だ。

 1羽の鳥が私のためにダンスを踊り、歌をうたってくれる。光の中できらめく動きと、

木々の間をすり抜けてゆくさえずりに、私は生まれて初めて美を感じ取る。

言葉など知らなくても私たちの心は通じ合う。
 
自分の演技を見て一人のおばさんがこんなことを感じていると、高橋選手は思いもしないだろう。

だから私はこうささやきたくなるのだ。


「あなたは自分が思う以上の感動を人に与えているのですよ」と。







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こちらはバンクーバー五輪の後、毎日新聞のコラムに掲載されたようです。

1人の作家さんが愛情を込めてフィギュアスケーターさんを語るとこうなるんですね。

素晴らしい賛辞です。

言葉で自分の贔屓選手をこんな風に賛美できたらどんなに良いでしょう。

小川先生がフィギュアファンなのは他のエッセイを読んで少し知っていたのですが

まさか大ちゃんファンとは知りませんでした。

大ちゃんファンやフィギュアファンの方は皆ご存知だとは思いますが、

あまりに大ちゃんへの愛に溢れたエッセイだったのでご紹介させて頂きました。

>自信満々な人は放っておいても大丈夫だが、自分などまだまだ駄目だとうつむいている選手ほど応援する甲斐がある。

やっぱり大ちゃんファンは、大ちゃんのこういう所にグッときてしうのでしょうね。

ところで小川先生、強気な18歳の少年はいかがでしょう?




さてこれは大ちゃんへの賛辞なのですが・・


そう、大ちゃんへの賛辞・・・それは分かっているのですが

悲しき羽生脳の私は、ピンク字の鳥の記述のあたりから、ずっ~と結弦くんの事を思い浮かべ

ながら読んでいました。

綺麗な色の羽(衣装)を見せながら、軽快なステップを踏み、


くちばしを揺らす。他のオス(選手)が誰もできない難しい技を繰り出す。


自分を受け入れてほしい(自分の演技を見て欲しい)と願う気持ちを伝えるためだけに、ひたすら踊り続ける。



敵が襲ってくるかもしれない恐怖(どんな困難にも)にさえひるまない。


これって結弦くんにも言えるよね・・・いや結弦くんの事だよねと(笑)




小川先生もなぜ大ちゃんの演技に魅了されるのか分からないと書いておられますね。

高橋選手の演技を見て泣いてしまうのは、もしかしたら
言葉を持つよりずっと昔に出会った、求愛の歌とダンスを思い出すからかもしれない。

確かに、小川先生の言うように、私達のDNAに刻み付けられた太古の記憶が呼び覚まされるからかも知れませんね。



結弦くんのファンになって一年経ちますが

私も、どうしてこんなにも結弦くんの演技に心惹かれるのだろう、魅了されるのだろうと

ずっと考えてきました。

でも考えても考えても分からない。

彼の素晴らしいところを挙げなさいと言われたら、両手の指では足りないほどです。

アスリートとしても人としてもとても彼は魅力的で素晴らしい。

でもそれだけではない何か。何かがあると思うのです。

その何かが分からなくて、どうにももどかしい。



彼の存在は女性のナルシシズムを刺激するからではないかとか・・・・

昨年のロミオについて言えば

私は、彼の演技にロミオだけでなく、ロミオに愛を捧げるジュリエットの姿も重ねておりました。


あれは「結弦とジュリエット」ではなく「結弦はロミオであると共にジュリエットでもあった」のではないかと。

彼に付きまとう怪我は、彼の儚さに一層の拍車をかけ
 
その儚さは切ない美しさとなり

そして演技中、彼の中の少年性と少女性が激しく共鳴し合い、あのロミオは美しく輝いたのではないかと思っておりました。

どうです、珍解釈でしょう?(笑)


こんな事を書くと頭がオカシイと思われるかもしれませんが、まぁもうおかしいのでこの際だから書かせて頂きます。

私は結弦くんの演技を見ていて、何かこの世のものでない美しさ、天上の美しさを見る事があります。

天女のような・・・・結弦くんはもちろん男性ですが、性差を超えた何か天上人の様な美しさを感じる事があるんです。

私達が心惹かれるのは、この非現実の夢の様な儚い美しさではないだろうかと思っています。






でもこれも自分が満足する答えではありません。

やっぱり考えても良く分からないですね。誰かにこの謎を解き明かしていただきたい。



でも最近はこういう事ををごちゃごちゃ考えるのをやめました。

そんな野暮な事を考えるより、結弦くんの演技を少しでも沢山楽しんだ方が良いと思ったからです。

だって美しいものは美しいですから。






小川先生のエッセイからついつい結弦くんの話になってしまいました。

やっぱり最終的には結弦くんの話になってしまいます(苦笑)



エッセイの最後に小川先生は大ちゃんに対して
「あなたは自分が思う以上の感動を人に与えているのですよ」と囁きたくなる、と仰っています。

結弦くんファンの私も先生と同じように考えています。

でも囁くのは恐れ多いので(笑)辺境ブログの片隅からこっそりとつぶやく事にします。










最後まで私の駄文を読んで下さってありがとうございます。

追記
それにしても小鳥さんの血中ホルモン増殖しちゃうんですね。
きっとこれを読んでるフィギュアファンの
そこの奥サマ、お嬢サマもまの血中ホルモンも同じでしょうね。
好きな男子選手の演技を見たら、確実に増殖でしょう(笑)