◯祖父はよく寝る人だった。
父も、よく寝る。
だから、僕もよく寝る。
◯道ゆく中高生とかを見ると「あどけないなあ」と感じるけれど、写真で自分の学生時代の先輩を見ると、先輩はいつ見ても先輩。
なぜだかすごい大人に感じる不思議。
◯調べ事をしていると、「一冊の本」というよりも、「たった一行」の情報のおかげで沢山のことが紐解けたりする事がままある。
◯読書の良いところは、行動意欲に火がつくところ。
◯兄の言葉。
「洋ちゃんが面倒くさいと思う部分には大切な物が沢山埋まっているけれど、お客さんにとっての「面倒くさい」は排除してあげたほうが良い」
◯タクシー運転手さんって本出したら絶対面白いと思う。
今まで一体どんな話を聞いてきたんだろ。
◯僕にはあまり「怒り」が無いから脚本は書けない。
◯あまり怒りが無いのは、「イライラする自分」にイライラするから。
イライラする自分なんかに自分を支配されるのが情けないから。
◯早く、普通に外でグミとか食べたいな。
大好きなのに、今一番敬遠してしまうお菓子。
◯伝わるかなー
じゃないよね
伝えられるかなー
だよね。
◯人の事を馬鹿にすると、必要な時に自分が馬鹿になれない。
◯自分に気分の浮き沈みがあるのは当然と思えるのに、他の人にもそれがある、という事を簡単に忘れてしまいがち。
◯3月のはじめ頃、電車の中で激しく咳き込む女性がいた。自分はコロナ渦という事があって正直怖かった。けれど、女性の横にいらっしゃった面識のない方が、あまりに見かねて背中をさすってさしあげてた。自分が本当に恥ずかしくなったし、自分があの方の横に座っていたら同じ事が出来ていただろうか。
◯防音の効いた部屋に入ると、耳がキーンとなる。キーンとなるということは、これは「無音ではない」のではないか?…自分にとっては、森の中とか公園とかでぼーっとしている時のほうが、風の音や子供たちの遊ぶ声などもよくよく耳に入ってくるけれど、そっちの方がよっぽど無音だと感じた。
◯ひさしぶりに連絡がきた友達。ふと考えた。
「…俺…たしかこの子に前、何か怒ってた事があった気がする……」でもどうしても思い出せない。忘れちゃおう。時間ってすごいな。
◯コロナ渦をきっかけに、どうにも休めなかった人が休めているといいなとも思っている。
○経験の少なさを言い訳にせず、ただの事実とし、時に武器としどんどんとベテランに聞く。
◯今は「なんで?」と思った事をすぐスマホなりで調べられる。大変に便利な時代だけれど、子供の頃のように「人に聞く」というあれこそ正に、コミュニケーションとして物凄く良いものだったのだろうな…と感じるこの頃。
◯相手を尊敬し尊重することは大事だけれど、「完璧」だと思ってはいけない。
◯どれだけ愛してもらっているかをちゃんと理解することもまた、愛情なのだろうな。
◯それらしい言葉を並べて文章をデザインしてはいけない。
◯仲良くなろうとすることに重きがいきすぎると、本当に打ち解けるのに必要な大事なステップを簡単にすっ飛ばしてしまう時がある。
◯演劇人として暑苦しいような時間を過ごしたいなぁ。
◯悲しい意味ではなく、どこかで「人生なんてそんなもんだ」と思っていることが処世術だったりする。
○誰も悪くないという状況は、それはそれで辛い。
◯憧れる人を間違えないようにするという事は、自分にとってとても大きな事。
◯人の気持ちを「わかった」という事は、時に残酷であり突き放す事になりかねないから気を付けること。
◯作家さんがまだご存命の場合、その方の書かれた言葉と、実際の話し口調とを照らし合わせられるというのが、この仕事をしていると物凄くヒントになったりする。
◯自身の人柄を良くするためには「訓練」が必要なのだろうなぁ…即日的なものではなく、思考の習慣化という訓練が必要。ただ、それを心に留めておくだけで「そうか、すぐにあの人みたいになれるわけではないもんな」と、落ち着いて取り組むことが出来ると感じる。
◯人の行動、言動には、「必ず何か理由がある」と思っていた方が、こちらが突発的に感情的にならなくて済むと感じる。
◯物づくりが進めば進むほど、発表するのが怖くなる時が往々にしてある。
「この人はこれを面白いと思っているんだな」と思われるのが怖くなる。
でもそれが仕事でしょ?
たしかに。そうですね。
はい。没頭します。
意識的に、没頭を。
◯その人の何かを嫌いになってしまう事はあっても、すぐに全部を嫌いになってしまう必要はないのかなとも感じる。大好きな人に対して小さな嫌いがあったっていいし、苦手な人の凄く良い部分を見てコロっと苦手を忘れちゃったって良い。
◯「本当はクオリティをあげようと思えば出来るんだけど面倒くさいから「ゆるく」って名前をつけることで成立させちゃおう」という意味での「ゆるく」は真摯でないと感じてしまう。
趣味としてならば素敵だけれど、プロが何かを面倒くさがった結果の「ゆるく」は、時に時間泥棒に成りかねないと感じる。
◯これだけ作品を創っても観客が劇場に足を実際に運べない環境が続くと、「名作」が生まれにくくなるだろうな…。もしもこの時代でなかったら「名作」として賞賛されていたかもしれない作品であっても、それを観て、体感できる観客が今はどうしたって少ない。
いかに舞台が「総合芸術」で、その「総合」に「観客」も含まれていたか。
◯「ウィルスに対する不安、恐怖」との戦いについては、「勝てば良い」という考え方はもはや通用せず、これから上手い事付き合っていかなければならない。
自分も含め、人々がどんな不安を抱き、「劇場へ行きたい!」と思うと同時にフッと心に浮かぶ「でも正直ちょっと怖い…」という、そのフッと浮かんだものに対してどれだけ具体的な対策でもって向き合えるか。
向き合うためには知識の他に資金が必要。
不安を打ち消すためには、費用が必要になる。
今の時代ならではの「上演のされ方」は日々模索されているけれど、本当に、年単位での戦いを皆が覚悟している。
僕らはどう突き進んでいく事になるのだろうか。
ただ少なくとも。少なくとも。ここだけはどうしても忘れたくないよなあと感じるのは、やはり舞台を観に行くこと、音楽ライブへ行くこと、映画館へ足を運ぶこと等々は、誰かの「生き甲斐」「希望」であったはずで、むしろそこが最大級の美しいところであり魅力であったはずだというところ。
より一層、知恵が必要な時代になった。