最近の雑感、考え事、色々。(2019.6.13) | 一色洋平オフィシャルブログ「いっしきにっき」Powered by Ameba

 

 

 

◯電車内。

スマホとかで面白い写真や動画を見ちゃってどーしても顔がにやけてしまう場合はなるだけ「微笑ましい顔」をするようにしてる。

 

「ああ、あの人子供の写真でもみてるのかな^ ^?」と思われるような「微笑ましい顔」

 

ほんとは数年前の「おもしろ荘」とかを見てたりするのに。

 

 

 






 

 

 

 

◯新宿で終電を逃し、家まで歩いてみた。

5時間40分かかった。

もう二度とやらないと思う。

 

ただ、歩くにつれ街の特徴がどんどんと変わっていくのを、電車や車などでなくこの足で感じることができたのは、とても面白かった。

 

ただもう二度とやらないと思う。

 

 






 

 

 

 

 

 

◯「エロい」というのは、実は物凄い褒め言葉なのかもしれない

 

 

 

 

 

 






 

 

 

◯芝居においては割と平気でやっちゃうけど、実は「相手に触れる」という行為は物凄い「強いこと」なのだと再認識すること。

 

 

 

 

 

 

 





 

 

 

◯高校の頃、イヤホンで大きな音で音楽を聴くのにハマってて、ある時電車内で親友が「それ、なんて曲?」と聞いてきた。

 

彼は「音漏れしてるよ」「うるさいよ」と言わず「それ、なんて曲?」という聞き方で注意してくれたのだ。

 

あんな優しい気遣いに満ちた注意を高校生が出来るって、今考えると物凄いことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◯そもそも演劇に興味の無い人が沢山いるということ。そこを認識することが始まりだったりもする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




◯駅のホームで熱心に将棋の本を読むおじさんを見かける。

 

1ページ1ページ、食い入る様に読む姿を見て何故だか「どんなに頑張って演劇を創っても、もしかしたらこの方に観てもらえる日はこないのかもしれない‥」とふと思ってしまい、ちょっと泣きそうになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 

 

◯どうして人は疲れたりすると、大事なことから疎かになってしまうんだろう。それは洗濯とか自炊とかそういうことじゃなくて、気持ち良い挨拶だとか、心を込めた感謝だとか、辛い最中にある人に声をかけるということであったりとか‥

 

どうして「人は」じゃないか。

どうして「俺は」か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◯ものすごくテンポでお芝居を“したくない”時と、テンポの美学に打ちのめされる時が交互にくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◯Twitterのタイムラインで沢山の人が呟いているけれど、「沢山の人」なんかじゃないよね。一人一人それぞれ、色んなご縁があってフォローしたり、してもらったりした人たちなんだよね。なんか一人一人にまつわる思い出をちゃんと思い返してみたくなったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



◯「わからないことを聞く」というのは、双方にとって良いことのはず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◯整骨院の受付のお姉さんの対応が素晴らしかった。

ご年配の患者さんが多く、かつその日はちょっとワガママに思えるような方も沢山いて、物凄い量の注文がお姉さんにバシバシと飛んでいたのだけれど、患者さん一人一人にとって一番良い策を瞬時に的確に、しかも人当たり良く提案していて、心の中で大拍手だった。

 

あの笑顔は、そう簡単に出せるものじゃない。

自分がどんなワガママに振り回されても、別の人には別の新しい心で対応する。

相当な人間力、もしくは仕事終わりに相当な癒しが待っているかでないとアレは無理だよな…と。

 

でもお姉さんはその日の機嫌がたまたま良かったからではなさそうだった。

僕が通った計3回とも、同じ様に対応をしていた。

 

ヒビの入った肋骨をさすりながら「見習いたいなあ」と思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◯人類みな兄弟説。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◯今までの自分に一度「疲れる」という楽しさ。

 

◯今までの自分なら絶対に選ばなかった方を、あえて選んでみるという楽しさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

◯しっかりと 地に足つけて 浮かれないこと、驕らないこと。

 

 

○自分のやるべきことをこしたんたんとやっていればいい。

けどこれがケッコー難しい。

 

何故難しいかっていうと、人とどうしても比べてしまうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

◯短距離走においては「速そうな走りではないけれど速い人」というのがよくいる。

 

だけど舞台上においては「実際には速くないけれど速そうに走る人」の方が面白いんだろうなと。

 

いや、俊足で走る様は見せ物としても面白いと思うんだけどさ、ほら、危ないじゃない。どうやったら「そう見える」のかを考える方が楽しいだろうし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



◯礼儀正しいっていうのは、敬語や態度がしっかりとしている事もさながら、もしかしたら、良い感じで「くだけて」接することができたり、相手にも気を遣わせないようこちらから積極的にくだけることなども言うのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◯劇場の良いところは、劇場に通う自分が好きだって思えたりするところでもある。

 

 

 

◯帝劇や宝塚に通われる方なんかも、高いチケット料金はあれど、「あそこに通う自分が好き」というようなところはあると思う。

 


 

◯俳優としてもたまにはそういう、背筋が伸びる様な思いがする劇場へと通うのは、とても大事であったりすると感じる。背筋を伸ばせば届くこともあるように思えるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◯新宿を歩いていると、ネズミが物凄い勢いで道路を横切った。

隠れて生きなきゃいけないって大変だなって思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◯自分が機嫌の良い時や人に優しくしたい気持ちの時でも、他の人にとっては全くそうでない時が往々にしてある。その噛み合わなさは普通だということ。

 

 

それでも、機嫌の良い時はまたいつやってきてくれるか、手に入れられるかわからないので、そういう時はめいいっぱい他人に優しくしておくこと。温かく情に満ちて触れ合っておくこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  


 

◯前向きにならなきゃいけない時にきちんと前向きになれる人を大尊敬する。

 

もちろんその人なりのとてつもない葛藤があったりして、無理して前を向いたり、機嫌よく見せてくれているのかもしれないけれど、こちらから「前向きに見える」だけでも物凄いことだなと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


◯「純粋に」幸せに浸る、ということはなかなかどうして難しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

◯キャンプ、アウトドアという趣味が一つ増えた。

趣味が増えるってことは、人間の厚みが増えるような感覚でなんだかとっても嬉しい。

久しぶりの感覚だ。

 

趣味が増えるってことは、生きがいをつくりやすくなるってことだ。

 

 

 


○小学生の頃、遊戯王カードが好きだった。

でも次第にベイブレードも流行り出して、僕はどっちも好きになりそうだった。

 

台所に立つ母に思わず相談した。

「遊戯王カードも、ベイブレードも両方好きになるっていうのは、良いことなのかな?」

 

 

「もっちろん!」と言ってくれた母のおかげで、好きなことは沢山あっていて良いのだと学んだ。

 

 

 

 

○そう考えると、親の一言や一瞬の眼差しが、その子の大事な部分を形成することに直結するっていうのは往々にしてあるのかもしれないね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   



 

◯お芝居を観る楽しみは、劇場にいるスタッフさん方々に受付なりロビーなりで対応して頂く時から始まっているから、もっと楽しく…とは言わないまでも、観る側にとってこの日がどれだけ楽しみであって大事な日であるかを考えてほしいな、と悲しくなってしまう出来事があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

◯コインランドリーに、乾燥機を使いに行った。

散歩して、そろそろ終わるかなぁという頃に戻ってきたら残り8分だった。

 

コインランドリーの大きな機械で洗濯物が洗われたり乾燥されていくのを見るのが好きだからじーっと見てたら、お婆さんに「お兄ちゃん、あと8分だね。8分って長いね。」と話しかけられた。

 

僕は別に8分なら見てられると思った。

でも、たしかに長い時間でもあるのかもしれないと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

◯お芝居にとって(もっと広く言うと仕事にとって)大事なことを、SNSがおびやかしたり、ぼやかしてしまっている時がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

◯下校中の小学生ってほんと不思議。

絶対みんな歌ってるか、何か呟いてるか、なにか蹴ってるか、上を見ながら口パクパクさせてる。

 

きっと僕もそうだったんだ。

いつからしなくなったんだろう。

なぜしなくなったんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

◯バイクにまたがったおじさんと目があった。物凄く良い笑顔をしていた。

 

でもきっとそれは笑顔じゃなかったんだ。

もう、おじさんの顔の筋肉がそうなってるんだ。

 

目尻にたくさんシワがよって、口がもう閉じてる時から微笑んでる。

 

いいなって思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  


 

◯下校中の小学生。

 

A「ねぇねぇ◯◯◯ー!ダンゴムシの内臓みるー?!」

 

B「みるー!!!!」

 

AB「うぉゔぇー!!きんもちわる!!!」

 

 

衝撃的な事ほど記憶に残りやすいというから、きっと彼らのこの瞬間というのは、いわゆる「忘れられない記憶」になったのではないかと思うと、なんだか物凄い瞬間に立ち会えたような気が勝手にしちゃって「俺もいた!そこに俺もいたんだよ!!」って、将来言いたい(笑)

 

 

 

 

 

◯今はいろんな色のランドセルがあるんだね。ひと昔前だったらもしかしたらいじられちゃう子とかもいたかもしれないけれど、今はみんないろんなランドセルを背負っているんだね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

◯今年の上半期は、「人として」忘れていた大切なことをゆっくり沢山取り戻せたり、新たに手にできた半年だったと思う。

 

色んな人を傷つけたり悲しませたり、裏切ってしまったり失望させたり。沢山してきたけれど、だからこそ気付けたことというのはとにもかくにも大事にしたいよ。

 

「これからを大事にする」ってことは、まさに今からしか始められないものね。

 

 

 


 

◯稽古へ取り組むことが怖かったりもするけれど、それは「一人で何かを成し遂げようとする」から怖いわけで、もうそのへんの余計な意地を捨てなさいよと。自分に言う稽古初日前夜。