最近の雑感、考え事、色々。(2019.2.15) | 一色洋平オフィシャルブログ「いっしきにっき」Powered by Ameba

 

 

○子どもの頃、新しいおもちゃを買ってもらったりすると、それまで遊んでいたおもちゃが途端に壊れたりした。

大人になると電化製品とかが正にそうなのだけれど、愛情を無くすと途端に物が壊れたりする、あれは一体何なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

○なんとか「雨」を好きになる方法はないものか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○甘えるのが上手な人は、感謝するのも上手。

 

 

 

 

 

 

 

 

○誰かに頼って貰ったり、甘えてもらったりするのが嬉しいことはよくよく知ってるのに、どうして逆が中々できないのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◯電車でスマホを使ってて、向かいの席の方がチラチラこちらを見てくると、「あ…俺がスマホを垂直に立てすぎてるから、カメラで盗撮してるんじゃ…とか思われちゃったかな…」とか気にして、しれーっとスマホを斜めに倒したりする。

 

 

 

 

 

 

 

◯コートってあったかい。

 

 

 

 

 

 

 

◯コートってあったかいなぁって思ってたら、街行く人、意外とみんなコートを着てる事に気が付いて、すごいな、みんなコートがあったかいって知ってるんだ…って思った。

 

 

 

 

 

 

◯マフラーを付けると、時々首が痒くなったり、小ちゃな出来物が出来たりする。何か肌に合うマフラーを探してみたいものだけれど…

 

 

 

 

 

 

 

◯焼肉の匂いって、ファブリーズでも取れない気がする。でも、昔はファブリーズでも取れた気がする。もしかしたら、焼肉の匂いの方が強くなってきてるのかもしれない…

 

 

 

 

 

 

 

◯でもお肉っておいしい。ハラミが好き。

 

 

 

 

 

 

 

◯スニーカーに付いてしまった汚れを落とそうと、アルコールを使って拭いてみた。塗装が剥げちゃった。ちょっと後悔。

 

 

 

 

 

 

 

 

◯赤ちゃん可愛い。何が可愛いって、お腹がポンポンしてるところ。あと国宝のようなほっぺ。それから頭撫でると汗で湿ってたりするでしょ?あれ。

 

 

 

 

 

 

 

◯「冬の匂い」、「夏の匂い」というのは、どこからやってきてるものなのだろうか。でも、たしかにあるし、人と共感し合える。

 

 

 

 

 

 

 

◯死後の世界ってどんなんなんだろう…

でも、「三途の川」なんて話はよく聞くし、実際に臨死体験をした知り合いからも「川があってさ…!」なんて話を聞かせてもらったもんだから、とりあえず……川はあるんだと思う……

 

 

 

 

 

 



○電車の中で変な音がした。

キーキー何かがこすれるような音で、もしかして車輪に何かトラブルが起きてるんじゃないかと物凄くヒヤっとしたのだけれど、よく見たら車内でフルートを吹くおじさんがいた。

 

それも上手に吹いてくれさえすればまだフラッシュモブみたいで素敵なものを、失礼ながら腕前が何かしらの方法で手に入れたフルートに今まさに挑戦!と言わんばかりだから……

 

でも車輪トラブルでなくて良かった。

フルートだとは思わなかったけれど。

でもフルートで良かった。

 

 

 

 

 

 

 

○ところで、上に付け足すのであれば、なぜ僕はフルートを吹くおじさんについて、こうして書くに至ったのだろうか。

きっとそれは、僕が少なからずもその時おじさんに対して「え…?」と思ってしまったからであり、もっと直接的に言えばきっと、少し嫌だったのだろう。そして同時にきっと、きっときっとその車両に居たほとんどの人が、「なんか嫌だな…」という気持ちになったのではないかなと想像する。

 

 

なぜ嫌なのだろう。


 

別に、直接何か危害を加えられたわけでもない。

わけではないけれど、恐らく……基本みんな平和を求めてるからだと思った。

 

電車内(広く言えば公共の場)で、フルートを吹くおじさんに出会った。

そうするとやっぱり、みんな自分の知ってる「平和な状態」であったり「心が平常運転をしている状態」からはズズっと多少なりともズレてしまうのではないだろうか。

 

「平和でいさせてほしい…」という心が「嫌だな…」という感覚に結びついたのではないかな、なんて思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○実家のある鎌倉には、大船観音(おおふな かんのん)という大きな仏像があって、遠くからでも山にそびえ立つ観音様の像がよくよく見える。

 

この前、随分と遠くからその観音様に手を合わせているお婆様を見かけて。

祈る姿って本当に尊い。

 

わからないけどね、祈る姿って大好き。

 

 

 

 

 

 

○上の話に付け足すと、子どもの頃、お正月の初詣なんかでお参りしていると

お賽銭を入れる。祈る。ちょっと早めに顔を上げて、両親や兄のお祈りする顔をチラと見る。

というのが好きだった。

 

なんでなんだろう。

感覚としては、よく「人が寝ている姿や何かを食べている時の姿が、ああこの人も人間なんだなあ…って感じがして好き」っていう人いるでしょう?それに近い感覚な気がするのだけれどなあ…

 

 

 

 

 

 

 

 

○今はテレビにしろSNSにしろ、とにかく発言や言動をとても「気にしすぎる時代」だと思うのだけれど、でもきっと多分、「そういう時代もある」というだけなのだとも思う。

 

バラエティ番組をはじめ、ひと昔前のテレビが今の時代では考えられないような内容で溢れていたことは知っている。けれど、「なんでもアリの時代」に続いて「なんでも気にしちゃう時代」が自然と自然とやってきただけのことだとも感じる。

 

「時代」って本当に、誰が発信者だとか、何が原因だとか、不明確な部分がとても多いように感じるけれど、とかくそれに抗うでもなく、「なるほどこういう時代なのか…」と、たゆたっていられたらと最近は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○電車の中によくその……吐瀉物というか、いわゆるゲ○(←この隠す○がもう字みたいになっちゃってるけど)が散乱してることがあるでしょう?…特に夜遅くの電車なんかは。

 

そういう車両に乗った瞬間、やっぱり一瞬びっくりするわけだよ。


で、数分経てば見慣れるでしょう?

そうすると次の駅とかで乗ってきた人がびっくりする姿を見て、「おや…新入りかい?そうだろう、はじめはびっくりするよな…」って心の中で突然この車両の玄人みたいになってる自分が居て恥ずかしい。

 

 

 

 

 

 


 

○今年は、人と会うことにも時間やお金を使いたい。




 


 



 

○人と生きるということは、そもそもが「思い通りにいかない」ということでもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

○月をよく見ると影があるでしょう?

月にあるクレーターが、月のよく見える日にはハッキリと見えて、それが影になってる。

 

僕はそれを影としか思わないけれど、昔の人はウサギに見えるなんて言って眺めて遊んでたわけでしょう?…すごいよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○上の話に付け足すならば、昔の人は今の人に比べて、とても失礼な言い方になってしまうかもしれないけれど、たくさん暇があったのではないかと感じる。もうちょっと丁寧な言い方をすれば、時間があることが多かったのではないかと。

 

それはすなわち、昔は現代のスマホやゲームのように「暇を潰すもの」が沢山は無かったわけで、そうなると自ずと人々は、きっと「暇を潰す天才」になっていったのだ。

 

現代に残っている「子ども遊び」なんかは正にその代表だと思う。

おにごっこ、かくれんぼ、どろけい…どれも身一つで出来るものばかりだ。

缶蹴りだってきっと、空き地にゴミとして落ちていた缶を、当時の子ども達が「暇を潰す才能」によって華々しく生まれ変わらせた、一級品の遊びに違いない。

 

 

 

 

 


 

○上の話にもうひとつ付け足すのであれば、何かの雑誌にこの前、面白い写真が3枚載っていた。

 

「時代ごとの電車での時間の潰し方」というものだった。

 

1枚目は、車両の全員が文庫本を読んでいる。

2枚目は、車両の全員が新聞を広げている。

3枚目は、車両の全員が携帯をいじっている。

 

どれもその時代毎で実際に撮られたものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 



落語は凄い。

なにが凄いって、喋りを職にしようとした人がいたってことでしょう?…

 

落語が登場したのが江戸時代。

この頃は歌舞伎や能、狂言が登場し始めたいわば芸能の始まりの時代で、僕はこの時代がある種のバブルのような、独特な熱さや華やかさのあった時代なのではないかと勝手に想像する。

 

そんな中で、「自分は得意の喋りで人から銭をもらってみせる」と言い出した人がきっと居て、資料を見るとどうも京都の方で始まったらしい。

 

道端に小さな机をちょこんと置く。

その向かいにござを敷いて観客を座らせれば客席の完成。

ところが道端で人が喋くってるのなんて皆んな聞いてくれないもんだから、ストーリーにテンポや調子を付けるために拍子木を叩いたりなんかする。

(※拍子木を叩く=平たい木の棒を机に叩きつけて音を出す。

ちなみにこの名残で今でも京都や大阪、つまりは西の方で行われる「上方落語(かみがたらくご)には、机や拍子木などの小道具があることが多い。対する江戸落語は小道具といっても扇子や手拭いくらいで、基本は噺家(はなしか)が座布団に座って身一つで行う。)

 

そうして聴衆の気を引いて、どんどんござに座らせて、話終わったところで観客から銭を頂く。

 

 

 

 

 


 

 

○上の話に付け足すと、1980年代、「小劇場ブーム」というものがあった。

その名の通り、小劇場での演劇を観ることが大変なブームになっていた時代の事で、小劇場で目を引く俳優や演出家、脚本家は驚くべき早さでドラマや映画などへと活躍の幅を広げていった。

 

昨年の夏、ふと思い立ってとある先輩に「もしかして、小劇場ブームって、バブルと関係がありましたか?…」と聞くと、「そりゃそうだよ!」と即答だった。

 

 

景気が良い、しかもバブルのような異常な景気の良さは、人々の「趣味や娯楽にお金を費やす意欲」を止めどないものにしたはずで、その娯楽の一つに「演劇を観る」ということが食い込んだのではないだろうか。

 

更にその中でも、小劇場という当時メジャーから少し逸れていた分野を開拓する喜び、そして良いものに出会った時の「この良さは自分だけが知っているものなのではないだろうか」というこれまた開拓の喜び、そして友人にオススメする楽しさ、そしてその友人と一緒になってハマっていける喜び…

 

かなり熱く、かつ健全な「口コミ」が力を発揮していた時代かもしれない。

 

そして落語の話に戻ると、「面白い噺(はなし)を聞かせてくれた人に対して銭を支払う」という感覚は、バブルのような独特の華やかさをもった時代でしか産まれ得なかったのではないかとすら思ってしまう…

 

 

 

 

 

 

 

 


◯もういっちょ上に付け足すのであれば、小劇場ブームの時代においては、ある種の「スッと理解できるわけではない演劇」も大いに流行ったと感じる。


いわば「不条理演劇」なんて呼ばれたりもするけれど、観客が一筋縄では理解できないものであったり、もう少し踏み込んだ言い方をすれば、わかりづらい演劇というのも、とても評価を得ていた時代だと思う。


これもまた、バブルの力も大きいのではないかと感じていて。


人々にお金の余裕がある。

そうするとやっぱり心にも余裕ができるので、大らかな心で娯楽と付き合っていける観客が沢山生まれたのだと思う。一見どんなストーリーなんだかチンプンカンプンなものに出会っても、「高尚な物にで出会えた…!!!」と捉えられる観客が。



今はどちらかといえば「わかりやすい」が求められたり評価されたりする時代かもしれない。


これもまた、「そういう時代である」というだけであって。


ただ僕は演者であるから、その時代毎の波にどうやったら楽しく乗れるのか、はたまたあえて乗らないのが良いのか、などなど、時代との付き合い方は考えてしまう。









◯でもそう考えると、観客の方がよほど正直に作品と付き合えているのかもしれない。


好きなものは観る。

苦手なものは観ない。











○故・桂歌丸さんの落語が大好きであった。

物語でもってストレートに観客を引っ張っていく。

見事な時間。

 

 

歌丸さんいわく、落語の良いところは「人間というものがよくわかるところ」だという。

 

時事ネタを入れた落語であれば、今世間でどのような事が起こっていて、それに対して人がどのように思っているのかを感じることができる。

 

古典落語に触れれば、今も昔も人というのはそんなに変わらないものであるということがよくわかる、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○「こう思うようになった」と「こう思いたい」は、紙一重であるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

○100円ショップによく、300円のものとか500円のものとかが売ってるけど、あれはすごい発想の転換だと思う。

 

「うちって100円ショップだけど…ちゃんと値札つければ300円のものも500円の物も売って良いんじゃない?!」

 

 

100円ショップっていう購買意欲の高まる場所において、この発想を繰り出してくるのは見事だと思う。

 

 

 

 

 

 


 

 

○ごめんねではなく、有難うを言うようにしてみている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○良い演技ってなんだろう。最近映画を観ていてよく思う。

今は、「人と演じる時間を大事にできている人は、すべからく皆んな良い演技なのではないか?」なんて思ってみたりしているけれど、でもやっぱり、そういうところじゃない、とても感覚的なところでいわゆる「良い演技」ってあるな。んん…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○軽率な行動が撮影された動画がSNSで飛び交っているけれど、彼らは「その場を盛り上げるためにやってる」だけでなく、更にその先の「そしてその動画を投稿したら世間がどんな反応をするだろうか」というところまでをセットで考えていると思う。

 

 

「新種のかまってちゃん」なのかもしれないね…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○日曜洋画劇場の故・淀川長治さんの映画解説を観るのにハマっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

○近々、もしかしたらTwitterにおけるツイートを、一度全部きれいに消してしまうかもしれません。

これには深い理由などは一切なく、ただ、先日何を思ったか自分のツイートを読み返していたところ、「今の考え方とは大分違ってるなあ…」と感じる部分がとても多かったのです。

 

別段、そんなに遡ってツイートを見る方はそんなにいらっしゃらないと思うのですが、8年間くらいTwitterを利用してきて、長い間自分の言葉を記録してくれていたので、一度リセットできたら気持ち良いなあと、ふと思いましてね。

 

なので、もしもお気に召した動画などがあれば、今のうちにご覧下さいませ(笑)