普遍的なるもの?
同じ言葉であってもその意味するところは時と場合によって随分違っていて、ややもすると正反対の意味合いを宿していることもなくはない、というか結構あります。今日この頃の「民主主義」なんかもその最たるものかもしれません……、いや待てよ、こと民主主義に関しては昔からなんだか怪しげな感覚がなくもなかったかな。たとえばガキの頃は民主主義と多数決は極めて近しいものであるように思っていた、多分。多数意見を諒とするのはまぁいいとして、その「まぁ」があっという間に消えてしまうわけです。多数意見は「絶対」多数になって少数意見は無視、なんてことが実は当たり前なことだったんじゃないか。思えばこれは子供の世界だけの話でもなかったのだけれど。
さて、話は民主主義に限らないわけです。普遍的と想定していたことが「えっ? そうなの?」と。ま、万物は流転するわけですけれど…。不変ではなく普遍でもないのです。ただ、これが観念だけの話ではなくてもっと感覚的な部分でも起こっていることのように感じたりもする、今日この頃の生臭爺いのワタクシ……。以下多分続く、かもしれない。
家業としての政治。
ネットで昭和44年(1969年)の東映映画『戦後最大の賭場』を知って、チラ見。監督は山下耕作で、あの『博奕打ち 総長賭博』の翌年の作品です。東映ヤクザ映画がマトモに論じられるようになって(?)間もない頃、「ゲージツみたいなもん(『博奕打ち 総長賭博』のこと by岡田茂)」でもないでしょうがよくできた映画でした。64年のオリンピック、70年の万博などを背景に保守政党と右翼とヤクザが連携して利権を求める中、ヤクザ同士の「兄弟」「親子」の葛藤(とまとめていいものかどうか)……。鶴田浩二、高倉健、金子信雄、安部徹、小山明子らが演じます。よく似た構図は今も昔も変わらないところもありますが、半世紀前はこれがエンタメ映画として制作されて全国で何十万人かの観客がこれを観た、というのが今と昔の違うところでしょうか。佐藤内閣の頃ですね。
それにしても保守系政治家が家業であるとはどういうことでしょう? 岸田文雄も3代目ですよ。何度か駄ブログに「機会があったらちょっと調べてみよう」なんて記しましたが、いまだ成らず😓 ではありますが、ホントに欧米でもこういうこと(何代も続く政治家一族)はあるのか? 保守系政治家の親の元で育ったエートスというのかなんというのか、何かあるのでしょうね。その隣にある「民主主義」ってものは、西欧のものとはかなり違ったものであろう、と思ってしまうわけです。日本は世界で最も民主的な政体の国の一つ、ということになっているようですけれど…。
情報再考・続き
書店数が激減の一途であることは随分前から周知のことではありましたが、全国の書店数はすでに1万軒を下回って8000軒弱と聞いて、ちょっと驚きました。本屋が一軒もない自治体は珍しくないのです。一体これからどんな世の中になっていくのだろう??? sigh.