余白やの余談 -8ページ目

ラムゼイ・ルイス逝去。

ラムゼイ・ルイス逝去。享年87。ジャズ史上屈指のヒット「ジ・イン・クラウド」はレコード店やラジオで耳にしていました。1960年代後半頃のことです。シングル盤が出ていましたね。友人は中学生の頃この録音を聴いてジャズにのめり込んで行ったのですが、ロックに夢中だった私は今ひとつピンとこなかった。しかし当時「洋楽」を聴いていた小中高校生は誰でも「ジ・イン・クラウド」を知っていたことと思います。一度聞いたら妙に耳に付くリフとリズム、不思議な曲だったのです。合掌。

ジャズ的思考⁈

少し前に『この国の戦争 太平洋戦争をどう読むか』(加藤陽子・奥泉光 河出新書 2022)を読んで大いに我が意(といってもはなはだ朧げなものだけど)を得たりの感があって、奥泉光を少し読んでみようと思い何軒か書店を回って文庫本を探すのだけれどほとんど見つからなくて、新宿K書店でやっと見つけたのが『ビビビ・ビ・バップ』(講談社文庫 2019)で、これは2014年から2015年にかけて『群像』に連載された作品で「AI社会をポップに描くSFジャズエンタメ巨編!」と帯にある通り(かどうか?)のSFモダン・ジャズ小説(ん?)なのだけど、その随所で示唆されるジャズ観はこれまた我が意を得た(ような気がしなくもない)もので、ふと著者経歴を見ると私と同年ですから作中に登場するピットイン(それも紀伊國屋裏の路面店)やアケタの店などで隣同士になったことがあるかもしれないしないかもしれない上に、2029年とさらに70年後のウイルス大感染が物語の基調となっていて、これはもう面白くないわけがないのだが、何しろ800ページを超える長編で一気読みというわけにもいかず、よくまぁこれだけ書きましたねとも思うわけですが、そういえば何年か前に『東京自叙伝』(集英社 2014)を面白く読んだ記憶(はあるが、内容は忘れた💦 たしか駄ブログにも何かアホな感想めいたことを書いたような)もあって、それはちょうど『ビビビ・ビ・バップ』が書かれつつあった頃でもあったわけで、著者がデビューして大きな賞もいくつか受賞してから既に20年は経過していた頃のことだから今さら感濃厚ではありますが、つまりリアルタイムの文学事情にいかに疎いボンクラなのか私は嗚呼、ということにすぎないわけで、私がこの小説を読みつつ楽しい時間を過ごしたのは作品そのものの面白さもさることながら、昔の新宿や中央線沿線のジャズ事情を思い出したり、そんな中からいつしか自分のものになりつつあったジャズ感を振り返ったりしたことも間違いなく関係があって、新しいことは過去にもあるのだと思ったりして、突然前項(あ、もう1週間経ったのか!)で触れたシーラ・ジョーダンを思い出したりして、ビ・バップの精神再考という気分にもちょっとなったりしつつ、昨日から今日にかけてのBGMはリー・コニッツを20枚弱かけましたが、奥泉光の小説にはリー・コニッツは登場してなかったんじゃないかな。

ワタクシたちのこれまでとこれから。

昨日は久しぶりに新宿DUでCD3枚、その後ライヴ会場で1枚購入。新録は粟谷巧のベース・ソロとシーラ・ジョーダンの昨年秋のライヴ。シーラ92歳ですよ。アラン・ブロードベントとハーヴィ・S(シュウォーツ)との共演。アート・ペッパーの未発表ライヴとハン・ベニンク、ペーター・ブロッツマン、フレッド・ヴァン・ホーフのライヴはどちらも1974年の録音です。立て続けに聴いてみると、半世紀前と今がごくフツーに混在してきます。うーむ……。 

 1970年代の後半、渋谷界隈を行き来する学生の過半は、原理・統一教会がなんだか反共を唱えていて、青学などの大学自治会を牛耳ろうとしている団体で、岸信介の旧居のあたりに事務所があって……程度のことはなんとなく知っていたことと思います。ハチ公像の辺りで布教(?)に努める原理らしき集団と、ハレ・クリシュナを唱えながらピョンピョンジャンプしている黄色い袈裟の坊主頭(スキンヘッドというコトバはまだ一般的ではなかった)グループは当時の渋谷風物詩(??)なのでありました。霊感商法も自己啓発なんとかセミナーもまだ広く知られてはいなかった(自己啓発セミナーなるものが流行り始めたのは80年頃かな?)わけです。ま、どれも原理・統一教会の専売特許(?)というわけではないけれど。シラケ世代の一般的アホ(ワシじゃ😓)にとっては「世の中にはそういうものもあるんだねぇ」くらいの認識だったのです。ところがここにきて、自由民主党との驚くほどの深く広い関係が露わになってきた、と。これは色々な意味でとんでもないことではないでしょうかね。嗚呼、ニホンは一体これからどうなるのだろう……😑。