63.「復活 ポロネーズ第五十六番」古野まほろ | 町に出ず、書を読もう。

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物語がないと生きていけない。社会生活不適合者街道まっしぐら人間の自己満足読書日記です。

63冊目

「復活 ポロネーズ第五十六番」

古野まほろ

新潮社


復活: ポロネーズ 第五十六番/新潮社
¥1,995
Amazon.co.jp


未知のウイルス、感染爆発、民族滅亡の危機、そして超大国による、占領――


ディストピアに残された、最後の希望とは?


日本の独立が失われて既に十年。


劣等民族としての日本人には、もはや抵抗する力がなかった。


ある不思議な数列と、『涙の雫』なるものを除いて――


そして今、運命に選ばれた高校生が旅立つ。


未来の鍵となるふたりがディストピアと化した祖国をさまよう果てに見るものは?


稀代のストーリーテラーが贈る、書き下ろし長編。



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突如、日本各地で未知のウィルスが発生し、感染爆発。




頼みの在日米軍は命を惜しんで完全撤退。




なすすべもないかと思われた時、手を差し伸べたのは隣の大国、中国だった。




行政機能を完全に失った日本は、実質上中国の占領下に入る以外の選択肢はなく、粛々と占領されるに任せざるを得なかった。




ほどなくして未知のウィルスは、世界中でほとんど日本人しか持ち得ていないDNA型にのみその毒性を遺憾なく発揮することが判明。




ウィルスに怯える「劣等民族」となり下がった日本人は、中国共産党の第五十六番目の自治区として、一方的な迫害と搾取を甘受することとなった。




それから十年。




被支配階級となった日本人が、日本自治区で(漢民族の後塵を拝すのは当然としても)特権階級に至る道はただ一つ。




血胤が東京人民大学・京都人民大学およびその付属学校に入学し、共産党員としての英才教育を受けることだけ。




東京人民大学付属高校に在籍する学生・古野昴は、同級生の柏木照穂・稲矢美香・渡辺夕佳らとともに、ウィルスから身を守るためドームに覆われた全寮制の学内で学生生活を謳歌していた。




しかしある日。




昴は、ドームの『外側』を歩く、死んだはずの姉・古野美月の姿を目撃する。




数日後、姉と見間違えた少女・修野茉莉が眼前に現れた。




箱庭で暮らしていた昴の価値観を根底から覆す様々な「事実」を伝えた茉莉は、昴に「共に往く」ことを要望する。




かくして少年と少女は、一縷の望みを胸に外界へと旅立つのであった・・・




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せっかくなので詳しいあらすじを書こうとしたら結構長くなってしまいました。




古野さんの作品はこれまでのところすべて同じ世界観と時間軸で展開していたのですが、こちらは全く違う世界。




なのに柏木照穂だとか渡辺夕佳、さらには古野昴(まほろ)や修野茉莉(まり)なんていう、旧来の登場人物が結構そのまんまのキャラクターででてくるので、『これはどういう世界なんだろう??』と物語にぐいぐい引き寄せられます。




そして、昴と茉莉が外界で目撃する占領政策の酷いこと酷いこと。




家畜でももうちょっと厚遇されているよ、とげんなりしてしまうほど、漢民族による強権的支配がこれでもかこれでもかと描写されます。




読書メーターでも他の人の感想を見ても、キツい辛い読み進められないと散々な意見。




でもね、と。




ここまでリアルな描写のモノは見たことないし、ほとんどが伝聞に依るものではあるのだけど、あの国がチベットその他の自治区でやってることって、コレとほとんど同系列の者ですよね、実際。




まあ、日本では(特にテレビでは)ほとんど報道されないけどもさ。




とかなんとか思っているうちに物語は進み、見事なフィナーレ、大団円。




まあ、ね。私はどっちかというとそっち側の人間なので(曖昧表現)、こういう作品も全然オッケーなのだけれど、まあ読んでてさほど心地のいい話じゃないですよ、そりゃね。




でも、最後の1ページで・・・




や ら れ た 。




突然のビックサプライズに、そのページを開いたまましばらくは動けませんでした。




とはいえ。




なんだそうなのかふーん(鼻ホジ)、で終わらせちゃいけないのも事実。




実際、これに近いことはなされているのだしね。




ちょうど昨日か一昨日かのツイッターで古野さんご自身が語られていたように、由々しき事態なのには間違いありません。




だからまずは正しい認識を、という問題提起の物語だったのかな、と読了後に思いました。




まあ、それが正しいのかどうかも、正しいと思うのかどうかも、人それぞれだとは思いますけども・・・(重い話題に心がヘタレた)