52冊目
「ロボットの時代 決定版」
アイザック・アシモフ
ハヤカワ文庫
月世界開発用に調整されたロボットが地球上で行方不明になって起こったとんでもない大騒動を描く「AL76号失踪す」
地球から派遣されたロボットと木星人との奇妙な遭遇を描く「思わざる勝利」
美男子の召使いロボットのトニイと女主人クレアのただならぬ関係を描く「お気に召すことうけあい」
ロボット心理学者スーザン・キャルヴィンが活躍する「校正」
など、愛すべきロボットたちを描きだす『われはロボット』の姉妹短篇集。
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というわけで、前に感想を書いた「われはロボット」と対をなすような短編集です。
あらすじで「姉妹」と書かれたものを何故「対をなす」と言い換えたかというと…
「われはロボット」は、どっちかというと【問題】の【原因】がロボットにある話が多かったように思うんです。
システムとして欠陥があったり、プログラムに従った行動はしているものの、結果的には制作者の意図に反してしまったり。
それに対して「ロボットの時代」は、【問題】の【原因】が人間にある話が多かったように思うんですよね。
勘違い、誤認、思い込み、認識不足、などなど。
そういった人間独特の心理が、なにひとつ間違った行動をしていないロボットに対しても働き、本来なかったはずのトラブルが起こってしまう、というか。
まあ、全部が全部そうだというワケではないので、これは飽くまで私的なイメージしかないのですが。
そんな作品群の中で一番よかったのは、「校正」でした。
論文の校正をさせていたロボットが、著者の意図しない内容に論文を書き換えたと訴えられ、法廷で争うことになる、という話です。
「そういうことができるように作られていないのだから、できるはずがない」
ロボット研究者たちは、そんな当たり前のことを何度も説明するのですが、なかなか伝わりません。
そのモヤモヤ感と、解決時のスッキリ感のギャップが、とても爽快でした。
身の回りのものがどんどんブラックボックス化していて、どんな原理で作動しているかが理解できない現状(書かれたのは何十年も前ですが)に対する皮肉にも見えます。
また、ロボットに対する接し方を引き合いに出して、対人関係をも皮肉ってもいるような感じで、そんな深さがとても良かったです。
これは「ロボットの時代」全般にも言えて、「われはロボット」よりも派手さやインパクトが少ない分、唸らされるというか、考えさせられるというか、余韻が残るような短編集でした。
さて、上記2作でアシモフの面白さを痛感したわけですが、次は何を読むのがいいだろうか。
あらすじを読んだ印象だと、「ファウンデーション」のシリーズはちょっと合わなさそうな気がするんだよなぁ。
あくまで私見ですが。
前にオススメされた「聖者の行進」は、絶版なのか何なのか見つからないし。
(Amazonのマーケットプライスなら在庫があったのだけど、PCもクレジットカードも持ってないので、支払いが面倒っぽい)
はてさて、どうしますかねぇ。
え?先に積読を消化しろって?
それは正論すぎて耳が痛いですなぁ…