いまの作風の原点となった絵
下の日記を描いた頃は本当に、周りの目ばかり気にして絵を描いていた。というか、描けなかった。
どこかにあるだろう正しいものを探し、なぞっていた。
あの頃の自分に言いたい。
大丈夫や
なにが大丈夫かわからんけど
とにかく大丈夫やから
安心して両手をはなせ
わしを信じろ
<えがく>
絵を志してもうすぐ1年半
はじめの1年は、絵を描くことよりも、どんな絵を描くかでもがき苦しんだ
仕事にするにはどんな絵を描かなければならないのか
売れるために、とまではいかなくても、ヒトに好んでもらえる絵を探した
自分がいいと思えるものを作り、それを人がいいと言ってくれる
それが理想だけれど、どうすればいいのか、わからなかった
いいな、と思う作品があると、こんな風に、と意識してしまい、結局マネにしかならなくて、また自己嫌悪に陥った
絵の描き方ばかりを気にしていた
絵ってのは、伝えたいコトを表現するものなのに、思いそっちのけで、表現の仕方ばかりを考えてた
見た目ばかり
まさに我が人生
すると、表現する、ということも忘れていた
文法と単語ばかり机上で勉強して、いざ会話となった時に話せないだけでなく、自分の思ってることがどの単語に当てはまるかもわからない、というような妙な感覚がずっと続いた
これはつらかった
どの穴に落ちてるかも自分でわかってないから、救いようがない
見失うってコワい
最近、気づいた
どんな絵を描きたいが一番ではなくて
どんなことを伝えたいか、って言ったらエラそうかな。
どんな思いを描きたいか、ってことが一番にくるんだな
で、それを表現するために、自分ができる描き方をする
それが自分の絵になる
気づくのに時間はかかったけど、いま描けるようになってきたから
これからや
何回もスタートし直してるけど、今回は手応えあるぜ
そして、今回の考え方も、人生に活かせるね
何でも生き方と結びつけるのはアレやけど、一度しかないアレやからええんじゃええんじゃ
どんな人間になりたいか、自分はどんな人間か
それを表現するって考えたら、服装や髪型だけでなく、行動や言動さえも変わってきそう
マネから入るのはだいじやけど、学ぶのは表現の仕方やね
人から教わったことも大事やけど、自分が悩んで気づいたことは大きな力と自信になります
知っているとわかるとは、ヘチマとたわしほどの違いがあると誰かが言ってた
これからなんだ
2010.9.24の日記より
目に見えてはいないけど
少しずつ、ほんとに少しずつだけれど、育っている
誰にわからなくても、私はしっかりと見ていたい


