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「毒された木と鳥の物語」

与えられた恵みを深く胸に刻み、その恩を忘れずに日々を歩むことは、この世界で生きる美しさを見せてくれるものです。
その愛に報いる道には、より豊かな心を育む機会と、私たちの気づきを深める貴重な学びが溢れています。
それを示す教えが、叙事詩のマハーバーラタに記されています。
マハーバーラタの第13巻、アヌシャーサナ・パルヴァに見られる神話です。

ある時、ひとりの猟師が毒矢で獲物を射ようと試みていました。
すると、その矢の一本が大きな木に当たり、毒が木を枯らしてしまいます。
その木の幹には、ある神秘的な力を持つ鳥が住んでいました。
その鳥は、生まれてから一度も、その木を離れたことがありませんでした。

その鳥のところへ、神々の王であるインドラ神がやって来ます。
インドラ神は鳥に、役に立たなくなったその木を離れ、他の安全な場所へ移るように勧めました。
しかし、鳥は木を見捨てることはできないと、インドラ神の忠告を受け入れませんでした。
インドラ神は、その木に対する鳥の真摯な思いに心を打たれます。
最終的に、インドラ神は甘露を注ぎ木を蘇らせたと伝えられます。

木は、私たちの人生の支えであり、木の毒は、人生で直面する避けられない困難を示しています。
毒されたにもかかわらずその木を離れない鳥は、人生の困難の中でも与えられた恵みを忘れることなく、忠誠を示す美徳を示しています。

鳥の行動は、一見すると執着のように見えるかもしれません。
しかし、それは無知や欲望から生まれる執着とは異なるものです。
鳥が木を離れなかったのは、恐怖や愛欲によるものではなく、報恩という美徳に根ざした崇高な決断によるものでした。
それは不動の献身を示すものであります。

インドラ神が甘露を注ぎ木を蘇らせたことは、こうした美徳が常に報われるという価値ある教えを示しています。
もし鳥の行動が単なる執着からくるものであったなら、その行動はこのような神聖な形で報われることはなかったはずです。

困難は人生の一部であり、与えられた恵みに気づく機会を与えてくれるものでもあります。
難局に直面しても揺るがない鳥の心は、その恵みを見失いがちな私たちの歩みに明るい光を灯してくれています。
鳥がそうしたように、常に感謝とともに人生を歩むことで、最高の祝福が与えられるに違いありません。

(文章:ひるま)

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