ヨガ哲学と日常の気づき|50代からの心と体を整えるブログ|茅ヶ崎・平塚ヨガ

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ヨガ哲学と日常の気づきから、心と体を整えるヒントを綴るブログ。
50代からの体の整え方と、静かな心の育て方。
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お盆の準備を始めました。


まずは、毎年使っているテーブルを出して、お盆の道具を出すところから。


私の住んでいる地域では、
お盆になると仏壇とは別の場所に棚を設けて、お供えをします。


12日にきちんと整えて、
13
日には迎え火を焚きます。


お供えするものも、今日、明日で少しずつ揃えていく予定です。


毎年、当たり前のようにしてきたお盆。


ところが今年、ふとお盆の由来を知り、

「そうだったの?」

と思ったことがありました。



お盆の由来「盂蘭盆会」と目連のお話


お盆の由来の一つとされているのが、仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)です。


そこには、お釈迦さまの弟子である目連(もくれん)と、その母の物語があります。


目連は、お釈迦さまの弟子の中でも、特に神通力に優れていたことから「神通第一」と呼ばれた人物でした。


その神通力で亡くなった母を探したところ、母は餓鬼道(がきどう)に堕ち、飢えと渇きに苦しんでいました。


母を助けたい。


目連は、母に食べ物を届けます。


ところが――


母が食べようとすると、その食べ物は炎となって燃えてしまい、母の口に入ることがありませんでした。


母がどこにいるのかを見つけるほどの神通力があっても、母をその苦しみから救うことはできなかったのです。


目連は、お釈迦さまに尋ねます。


『どうしたら、母を救うことができるのでしょうか。』


そこでお釈迦さまは、修行を終えた僧たちに食べ物などを供養し、その功徳を母へ回向するよう教えたと伝えられています。


そして母は、餓鬼道の苦しみから救われた。



この盂蘭盆会の物語が、日本のお盆へとつながっていったとされています。


神通力があっても、救えなかった


私は、この部分がとても印象に残りました。


目連には神通力があった。


母が苦しんでいることにも気づいた。


母を救いたいという強い思いもあった。


それでも、自分の力だけでは救うことができなかった。


そして示されたのは、さらに強い力を使うことではなく、

供養すること。


そして、その功徳を母へ回向することでした。


私はヴェーダや『バガヴァッド・ギーター』を学んでいるので、この話にはどこか馴染みのあるものを感じました。


どれほど能力があっても、すべてを自分の力で動かせるわけではない。


自分にできる行為をする。


そして、その先まで自分が支配しようとしない。


宗教や文化は違っても、長い年月をかけて伝えられてきた教えの中に、どこか重なるものを感じます。


今年も迎え火を焚きます

毎年してきた、お盆の準備。


棚をつくり、お供えをして、迎え火を焚く。


ずっと続けてきたことなのに、その始まりにこんな物語があったことを私は知りませんでした。


意味を知らずに続けてきた習慣も、

その由来を知ると、少し見え方が変わります。


今年はいつもより少しだけ、その意味を思いながら、


12日にお盆の棚を整え、
13
日に迎え火を焚こうと思います。


完成したら、また写真を撮っておこう。


毎年繰り返している季節の営みも、


こうして一つひとつ意味を知っていくと面白いものですね。