ヨガ哲学と日常の気づき|50代からの心と体を整えるブログ|茅ヶ崎・平塚ヨガ

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ヨガ哲学と日常の気づきから、心と体を整えるヒントを綴るブログ。
50代からの体の整え方と、静かな心の育て方。
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ピンクの花と蕾、ヨガの教え

 

今朝、バス停のそばで咲いていた花。

きれいだなと思って、
思わず足を止めて写真を撮りました。

そのとき、ふと思ったのです。

なぜ、私たちは美しいものに惹かれるのでしょう。

 


 

 

  子どもには、美しいものを見せなさい

昔、

「子どもには、小さいうちから美しいものを見せなさい」

そんな言葉を聞いたことがあります。

美しい景色を見る。
美しい音を聞く。
美しいものに触れる。

子どもの頃に触れたものが、その人の感性を育てていく。

そんな意味なのだろうと思っていました。

そしてヨガを学ぶようになってからも、
師匠が「美しいものを見る」ことを大切にしていました。

その頃は、それぞれ別の話として聞いていたように思います。

ところが今、ヴェーダを学び続けていると、
昔聞いたいくつもの言葉が、少しずつ一本につながってきました。

 

 

  私たちは、なぜ美しいものに惹かれるのかテキストを入力

花や自然。

空の色。

音楽や、人の声。

人の姿や、所作。

私たちはさまざまなものに触れて、

「美しい」

と感じます。

では、その「美しさ」は、どこから来るのでしょう。

『バガヴァッド・ギーター』10章41節には、

この世界にある美しいもの、輝かしいもの、力あるもの、卓越したものは、至高者の輝きの一端から現れている、

ということが説かれています。

つまり、目の前の美しいものだけで完結しているのではない。

美には、その源がある。

ヴェーダの学びでは、そこまで視線を向けていきます。

 

 

  「きれい」で終わらなくなっていく

花を見て、

「ああ、きれいだな」

もちろん、それでいいのです。

でも、学びを続けていると、

「なぜ、私はこれを美しいと感じるのだろう」

そして、

「この美しさは、どこから来ているのだろう」

と、その先へ心が向くようになります。

私たちが美しいものに惹かれるとき、

その形や色だけではなく、
その奥にある**「美の源」**に惹かれている。

そう考えると、

「美しいものを見る」

という、ごく普通の日常の行為が、
少し違って見えてきます。

 

 

  何を見るかは、心と無関係ではない

ヨーガでは、何を見るか、何を聞くか、何に触れるかを大切にします。

私たちは毎日、感覚を通して、たくさんのものを自分の内側へ取り込んでいるからです。

それらは、ただ通り過ぎて終わるわけではありません。

繰り返し触れたものは、心に印象を残していきます。

ヨーガでは、このような心に残る印象を
サンスカーラ(saṃskāra)と呼びます。

だから、

何を見るのか。
何を聞くのか。
何に触れるのか。

そして、

自分の心を、日々どこへ向けているのか。

これは、とても大切なことなのだと思います。

 

 

  美しいものを見る。それもヨーガ

昔聞いた、

「子どもには、小さいうちから美しいものを見せなさい」

という言葉。

師匠が大切にしていた、
美しいものを見るということ。

そして今、ヴェーダを学ぶ中で知った、

私たちが美しいものに惹かれるのは、その美しさの源に惹かれている

ということ。

ずいぶん時間が経ってから、
私の中でそれらがつながりました。

ただ気分をよくするために、美しいものを見るのではなく、

自分の心を、何に向けていくのか。

今朝、バス停のそばに咲いていた花も、
そんなことを思い出させてくれました。

美しいものを見る。

それもまた、
日常の中にあるヨーガなのだと思います。

Hari Om Tat Sat