プラテイヤハーラ

ミャンマーの瞑想道場にいた。

インドから友人とタイに渡り阪神大震災のあった年の正月をカオサンロードで迎えた。

翌日ミャンマーの首都ヤンゴンに飛行機で飛び、マハシ瞑想道場へ入った。


滞在してひと月過ぎた時に同じ僧房にいたマレーシアから来た僧のブッダワンサンに出家を強く勧められ出家をする事に決めた。


出家といえば一大決心だが、タイやミャンマーなどの上座部仏教の国では人生に一度は出家を経験するという。


出来る事は何でも体験してみたいたちなので出家をした。


たとえ短期て間もない出家でも得度をした後僧衣を纏い歩るいていると、地元の人が足下に膝まずきお祈りをする。

その真信の心に応えられない自分にはもったいなくもあり照れくさくもあった。


その後も歩いてるいると頭の中がグニャグニャと蠢きエントロピーが自分の中でひっくり返ったような感覚に見舞われた。


座って直ぐに悟り出ていくものもあれば何十年と座り続ける人もいると高僧は話してくれた。


ビパーサナ瞑想は日本にいる時から学んでいたのだが、その方法の違いが邪魔をする。

頭で考える癖がついてしまっていたのだ。


吸って吐く。膨らむ縮む。


今の自分ただの呼吸をしているだけの存在である。


やがてプラテイヤハーラ、感覚が制御される。


生じた痛みもじーっと観ていると生まれては消えていく。


常ならず。


無常という事だと気づく。


そしてダラーナ集中が高まってくる。

観ているもの、観察している対象物と1つになっていく。

不思議な感覚だ。


ブッダに会ったらブッダを殺せ。

禅宗の僧に以前言われた事がある。


この不思議な感覚に囚われる事はなく瞑想を続けた。


ここの道場は町から近く夜になると大音量でカラオケの音楽が流れてくる。

これでもかというほどの大きな音である。

一緒に来た友人は以前ピアニストをしており、音にはとても繊細な感覚を持っていた。

なのでこのカラオケの音には耐えられなかった。


先ずは自分の感覚をコントロールする事をヨガでは学ぶ。