神が私の源である。私は神から離れて見ることはできない。

知覚は神の属性ではない。
知識が神の属性である。
だが神は知覚と知識の属性として聖霊を創造した。

神の子によって神聖ならざる目的のために作り出された知覚は、彼が自らの聖性を再び自覚できるようにするための手段とならなければならない。
知覚にはなんの意味もない。
しかし、聖霊はそれに神の意味に非常に近い意味を与える。
癒された知覚は、神の子が兄弟を赦し、それによって自分自身を赦すための手段となる。


最近ヨガをしていて筋肉の伸びをあまり意識しないようにしている。
感覚があてにならないからだ。
ここで書かれている知覚にはなんの意味もないということにつながる。
筋肉は骨を動かすものだと知っていれば、その使い方は変わってくる。
ヨガとストレッチはイコールではないという事が分かってくる。

そうやって身体を癒していく。

そういう風に考えていくと身体と心がつながっている事が分かっておもしろい。