昨日の光の書でコミットメントという言葉がでてきた。
最近は、この光の書にはまっている。
光の書を読んで、こんなふうに思った。
今まで、どのように生きていけばよいのか?この歳になるまで迷い続けてきた。
もう来週で49、先の人生が見えてきた感がある。
歳のせいではないが、最近そろそろ、いいんではないか?
と思うようになってきた。
何がいいのかというと、
何が良いのか迷ってばかりいて思いっきり何もできない。
そんな自分が嫌になってきた。
とりあえず、自分の思ったことを発信していこう。
そう思うといろんなことが、いろいろ分かって決まってくる。
例えば、仕事に対する考え。
価値観とでもいうのか?
どうやったら、お金を稼ぐことができるのか?
とか、車が欲しいなぁ?とか。
なんていうか、普通の生活、暮らし。
まぁ、一般的な暮らしっていうもの。
常識的に暮らすみたいな。
そんな生活に自分を無理に当てはめようとしていた。
結婚して、子供ができて、とここまではいったのだが、、、。
でも、そんな生活、もうできない。
なんか「普通」にはなれなかった。
始めからなろうなんてしていなかったんだから、今更って感じ。
で、最近「光の書」や斉藤ひとりさんのテープを聞くようになって,前からそういう本は読んでいたんだけれど、自分はこっちだな、ってはっきりわかった。
頑張って、頑張ってお金を貯めて何かをするんじゃなくて、自分を見つめて内側から変わっていくやりかた。
こっちの方が好き。
今までもやってきたけれど、どこか迷いがあって中途半端だったけれど、ここにきて自分の人生を生きてみよう。
創っていこうって気になった。
母親とか数人の人が、幼いころから自分を型にはめようとしてきたけど、その度に云う事を聞いて頑張ってきたけれども、そうじゃないと反発してきた。
なんで、そういう人達が、いわゆる常識的な人が現れるのか?
よく分からなかった。
そうじゃないという事がわかるために、その人たちは現れたんだと気づいた。
そう考えるのが一番しっくりくる。
なんのためにその人たちが目の前に現れたのか?
なんのために引き寄せたのか?
もしかしたらその人たちを逆にこちらの世界に導くためなのかもしれない。
そんな風に思えるようになってきた。
こちらの世界なんて大げさに書いたが、少なくとも唯物的な世界ではなく、唯識的な世界のこと。
唯物的な常識にとらわれるのではなく、学生の頃のように何にも捕らわれることなく自由に元気に明るく生きていきたい。と思うのだ。