皆様、こんにちわ!ロニサランガヤでございます!『ヌーソロジー』は大変難しい理論ですが、下記に、ロニの理解の範囲でわかりやすいものを抜粋させてもらいました。『映画マトリックス』にも通じますが、人類大救世主大塚寛一先生からの教えにその『答え』がございます!

①人類は今は夢を眼ている!肉体は『影法師』である!本体は高次元にある!
②〘零点〙を把握しないと科学は真理の究極は把握できない!零点とは『三種の神器』の〘八咫の鏡〙である!
③真理〘零点〙に入ると『実証』が起きる!『真理あるところ必ず実証が伴う』
④科学はいずれ〘霊のステージ〙に入る!霊の段階に入れば、奇蹟と言われるものも科学的に証明できるようになる!また、人類は自由に奇蹟を起こせるようになる!

神軍リクルーターロニサランガヤ合掌


ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)

 




■NOOSとは   ヌーソロジーとは? 


物質と意識を統合する
意識物理学から生まれた新たな理論体系
宇宙は見える世界と見えない世界、つまり<物質>と<意識>とで成り立っています。

前者は万人に共通の科学的知識によってある程度までは、説明することはできますが、後者は科学ではなかなか説明することができない不可思議な世界です。そのため、意識に関する理論はいつも哲学・宗教・心理学の領域の中で説明されてきました。

別名、意識物理学と称されるヌーソロジー(ヌース理論)は、まだ科学では説き明かすことのできない、この見えない世界の構造に幾何学的なアイデアを持ってメスを入れた新時代の科学のアーキタイプともなり得る壮大な理論です。同理論は既にさまざまな出版物として刊行されており、今後もさらなる新刊が刊行される予定ですが、素粒子、原子に始まり、銀河系などのマクロ宇宙体系に至るまで、すべての神秘をまったく新しい視点から解き明かしてくれます。

そして、人間の意識と高次元空間の関係をも明らかにし、人類の哲学的テーマでもあった物質と意識の相互関係を見事に解き明かし、意識や宇宙に関するすべてのナゾに首尾一貫した解釈を与えることができる可能性を持った万物の理論(THEORY OF EVERYTHING)でもあります。

ヌーソロジーは、非常に高度で難解な内容であるため、一言でお伝えすることができませんが、ご興味ある方はぜひその新しい理論体系の世界に足を踏み入れてください。

※ヌーソロジーについて、より詳しい内容にご興味のある方は、下記にアクセスしてください。
【ヌースアカデメイア オフィシャルサイト】

 https://noos-academeia.com/

 ヌーソロジーとは? 


(ヌース理論)とは、"反転のコスモロジー"と銘打っているように、人間の空間認識を四次元方向に反転させることによって意識世界を素粒子世界とドッキングさせ、そこから宇宙創造のルートを虚時間の中で想起していくという思考の試みである。四次元方向への反転とは、簡単に言えば、モノの内部性と外部性の認識を反転させる、ということだ。内であったところを外に見て、外であったところを内に見る。それが、反転の第一歩である。

「ヌース」という言葉の由来について
「ヌーソロジーオフィスサイト:別のものの到来」より一部抜粋
「ヌース」という言葉を初めてお聞きになる方もこの中にはたくさんいらっしゃると思います。ヌースというのは、もともと古代ギリシアの哲学者たちがよく使っていた言葉です。ギリシアではノウス(nous/ノウス)と発音されていたようですが、『ヌース』について最初に語った人物は前ソクラテス期の哲学者で『アナクサゴラス』という人です。

アナクサゴラスは人間の理性には二つの種類があると考えました。一つはいわゆる『ロゴス』。これは、皆さんもご存じでしょう。日本語では、理性や言葉と訳されます。そして、もう一つの方がこの『ヌース』です。アナクサゴラスは、このヌースのことを別名「旋回的な知性」と呼びます。つまり、風車のようぐるぐると回る知性がある、と言うのです。そして、これがやがて、グノーシス的な思想の中で霊的知性や叡智と呼ばれるようになっていきます。ロゴスは「現象世界の秩序を論理的に把握する理性の力」のことですが、この旋回的知性としてのヌースの方は「生成の力を司る知性」と言われています。生成の力ということは、宇宙を作り出していく力、宇宙的な生命力を発振していく力のことであり、これは、分かりやすく言えば、創造的な知性、つまり、『神の知性』のことと言っていいでしょう。ちょっと大仰ではあるかもしれませんが、ヌーソロジーのヌースとはそこから拝借したものなのです。

ヌーソロジーの考え方の中では、今までの僕らの知性のすべては、科学的な知性であれ、宗教的な知性であれ、それらはロゴス、すなわち物質世界の知性であったと考えます。モノや人に配された名をもとに、僕らは、歴史の流れの中で、自らの外部や内部に起こる表象世界を感覚化、認識化し、そこにある種の法則性を求め、一つの巨大なノモス(律法)のシステムを構築してきました。

しかし、『ヌース』はこういった表象を対象として働く知性ではありません。それは『霊的な知性』なわけですから、物質世界に何か新たな法則を発見したり、思想世界に新種のイデオロギーを説くような類いの知性ではないのです。宇宙的生成の力そのものに人間自身の生の営みを変化させていくための変容した知性、人間を人間ではないものにしていく知性、そういったものと考えられるとよいと思います。


古今東西、さまざまな智者たちがこのヌースの正体について議論を重ねてきたのですが、いまだ、哲学の歴史の中で、一度たりともこのヌースは出現してきたことはありません。なぜこのように断言できるのかと言えば、もしヌースがすでに出現したならば、それは生成の知性なわけですから、思考されたものが即、存在者として振る舞わなくてはならないからです。太陽を思考すればそれが太陽となり、海を思考すればそれがそのまま海となる。ヌースとはそういう魔法のような知性なのです。このような知性がその思考の道具、対象として用いるのは、僕らが普通使用するような概念ではあり得ない。それは創造に関わるという意味において、概念ではなく『イデア(理念)』と呼ばれるものになります。
ヌースはイデアを用いて宇宙を創造する。イデア(理念)という言葉は、今の時代、あまり評判はよくないのですが、ヌーソロジーでは、このイデアとは人間の観念形成の中にア・プリオリに存在している数や幾何学の本質力のことだと考えます。 


 

人間は洞窟の中にいて、洞窟の壁に映った影を、真実の世界だと思って生きている。

しかし本当は、人間の背後で松明の明かりが映しだしているものを見ているだけ。

影が見えるだけで、人間に実体は見えない。それに気づいた人間は、クルッと身を反転させ、洞窟の外の世界を目指す。

洞窟の外はイデア世界であり、真実の世界は外にあるというのが洞窟の比喩。

この世界はマトリックスであり、すべては「影」である

この洞窟の比喩は、ヌーソロジーではケイブユニバースで表現される。

ケイブユニバース

そして、ヌーソロジーでは「この世界はマトリックスだ」と言っている。

映画マトリックスも、プラトンの思想を元に組み立てられたものだと思われる。