【伊邪那岐・伊邪那美】
 人類の祖先は、「伊邪那岐・伊邪那美」の男女お二人だったことがわかりました。零迦児(むかご)として、丹波の国、真名井原、丹庭に降ろされたのですが、そのように計画した天界の仕組みはどうなっているのでしょうか。私たちが住んでいる太陽系宇宙産は、「十三示元津(かい)」で出来ているとのことです。
 ちなみに、目に見える世界は「界」、見えない施津(せかい)を「津(かい)」で表現します。仏教ではこれを「十三仏」で伝えております。(p.22)
 伊邪那岐・伊邪那美、そして13示元津という用語の関係については、
《参照》 『2013:人類が神を見る日』 半田広宣 (徳間書店) 《中編》

【タカヒマラにおけるイザナギとイザナミ】

 

 

【2神の子どもたちと「七六(なむ)の大和詞」】

 結婚したお二人(伊邪那岐・伊邪那美)は、童女が初めて織物をされた滋賀県「多賀・栗栖」の地が大変住みよかったので、そこへ向かわれる途中、三重県・員弁(いなべ)の「饗庭(あいば)」の地で人類最初となる妊娠に気付かれました(現在、饗庭神社が残されています)。
 当時、寿命は数千年あったそうですが、その後、天命により38人のお子を産み、その地で育てられました。男女それぞれ十九人ずつのお子でした。そして天命に従い、現在の多賀町にある霊仙山の山頂に三十八名のお子たちを集わせ、輪になって順序良く一人ひとりに、天に向かって大きな声で違った発生をさせたのでした。そうすると、天上神霊津より、一言ずつ違った霊言が返されてきたのです。
 併せて七十六の霊言、言霊になります。
 すなわち、これが七六の言霊となり、これだけの言霊があれば、絶対に争い戦いにはならない「七六の大和詞」として誕生したのでした。


 しかしながら、後に権力により七十六の言霊が、五十音に削られていく中で、「対等、平等」の人権が損なわれ、ついに現代では二十六音(アルファベット)の言霊が支配する世界になりました。これでは、人類の安全保障はなくなり、言霊舌足らずの分が武器となって補われるということになり、どこまでいっても人間同士の安全が保障されることはないのです。
 聖書の冒頭に「初めに詞ありき」と伝えられているのは、このことなのです。(p.38-39)

 現在では、イエスが十字架で磔になられたのを表す為、十字を切っているのですが、それ以前からイエスは十字を切っておられたのです。その意味は、垂直が「国津神」、水平が「天津神」を表し、先にお伝えした「国津神」「天津神」の交わる地祇の地への祈りを表すためだったのです。「地祇の地」とは、地球上でただ一つ、日本の伊勢内宮のあるあたりなのです。(p.51-52)