皆さん、こんにちわ!神軍リクルーター、ロニサランガヤでございます。ロニとはペンネームでありますが、生粋の日本人でございます。今日は少し、ロニの過去のことも書いてみたいと思います。ロニは人類大救世主大塚寛一先生とのご縁は、大学の入学式での講演会でございました。高校時代から道を求め、あらゆる宗教、哲学の本を読み、ヨガや断食を行い、真理の探究と神の存在、死後の世界のことを考えておりました。また赤面症という性格的な悩みを抱えており将来、社会に出てからの不安がありました。この体験談は英語でのミニ講演として40分のビデオがありますので、ご関心のある方はご覧下さいませ。


英語動画もすべて自作自演ですが、すでに68本、20か国語での世界発信になっております。累計で2万回に迫る再生回数となっております。チャネル登録者も海外の方を中心に80人を越えております。

さて、その赤面症は大塚寛一先生とのご縁で頭部隆起なる奇蹟を体験し、完治させていただきました。ご縁を得て本年の5月22日で46年となりますが、6年間の米国赴任、英仏への数ヵ月にわたる短期留学、22か国への業務とプライベートでの訪問と世界の人々を知る機会に恵まれました。すでに某大企業を定年となり、現在は某中小企業に再就職して、海外事業担当の責任者をしている、ごく普通のサラリーマンでございます。まだ現役でもあって本名を使用していないこと、海外への発信は英語名での発信がより親近感があるであろうとのことでこのペンネームを使っております。ブロガー歴も13年を越えました。
基本、あの神国にはつらい311の震災後、覚醒してスタートしておりますが、その前から情報発信は行っておりました。またロニは大塚寛一先生とは、現世では直接お会いしたことはございません。

大塚先生は、1972年5月18日に神の座に戻られておりますので。しかし、大塚先生の神の力を体験し、常に魂レベルでは大塚先生の「神霊」に守られている「同行二人」の日々にございます。この同行二人について、ロニは、大塚寛一先生から、下記を如是我聞させていただきました。

「あなた方が、最後に亡くなるときは、親も兄弟も、その他の何ごとも頭の中から消えて、「神」のみが最後に残ることになる。であるから親子、夫婦、いろいろな関係は現象界だけの関係であって、この現象界から霊界の方へ行くときには、「本当の神」とあんた方と二人きりになるのである。

弘法大師は宗教家の中でも一番偉いが、大師は四国遍路(しこく・へんろ)の時の笠に「同行二人」(どうぎょう・ににん)と書いているが、それは仏教でいえば仏、神道でいえば神を示している。神も仏も本当は一つのもので、一体異名のものである。一人で行っても「同行二人」。親、兄弟、また六、七人いても「同行二人」と書いてある。つまり、神とあなた方とは寝ても起きても、生まれる前から現在まで、さらに死後永遠にまで離れずに歩むのである。それゆえに「同行二人」と書いている。そのように、神と人とは未来永遠に離れないが、もし離れたらその時には、何もかも分解してしまう。」

大塚先生と他の宗教開祖の違いは、信仰対象が「ご自身」であられることです。釈迦は阿弥陀如来、キリストは天の父なる神、マホメットはアラーの神とそれぞれ信仰対象がありますが、大塚寛一先生は「ご自拝」をされておられたと、お聞きしております。

このブログは、大塚先生が団体をご設立された前の貴重な書物である「暗夜の光明」を80年ぶりに復刻し、人類に知らしめることが目的ですが、団体にコピーライトのあるみ教えについての掲載は控えております。

また貴重なお写真も団体にコピーライトがございますので控えております。ただマイケルさんというブロガーが写真を掲載されておられますのでそちらを見ていただくか?

(下記は、信者ではない友人マイケル様のブログから)
http://blog.livedoor.jp/mysticart/archives/1820026.html


団体のHPに行っていただくことになります。但しロニは、団体への勧誘や金銭的授受は一切行っておりませんのでご了承くださいませ。

また団体設立後もラジオ放送番組、TBSテレビ(超科学の神秘:昭和47年)各種雑誌社との対談記事掲載と、すでに対外的に公表されたものにはコピーライトは付随しませんので、それらを発信させていただいております。
さて、今日は戦前の先生の不戦必勝の建白書のことについて記事をご紹介します。

大東亜戦争―この戦争の評価をめぐり、今、日本の世論は真っ二つに分かれています。「あの戦争は無謀な侵略戦争であった」とする意見と「国を守るために避けられない、自衛の戦いであった」とする意見です。しかし、今から86年前、世界中が大戦争に巻き込まれつつあった時代に「侵略はもちろん、自衛のためにも日本は戦争をする必要はない。戦わずして勝つ『不戦必勝』の道がある」と説かれた人がいました。のちの人類大救世主、真の日本神道を開かれた大塚寛一先生です。昭和14年、中国大陸に渡り支那事変の情勢を視察された大塚先生は、帰国後、政府要人に対する建白書の起草に取りかかられました。こうして作成されたのが大塚先生の建白書『大日本精神』です。昭和14年9月11日に発行された「第一号」では、次のような宣言が発せられました。

「大日本精神」(建白書)
(昭和十四年九月十一日発行)
大日本精神 宣言

真の大日本精神は即ち世界精神であり世界構成の根本原理であって、かつ全宇宙を活動せしめて居(お)る原動力の現われが即ち大日本精神である。故(ゆえ)に世の始めより世の滅したる後と雖(いえど)も不変不滅の大道である。その根元を把握せざる所には真の大日本精神は絶対存在せず、世界も亦(また)之に遵(したが)わねばならぬ。これを世界に宣布すべき大任は日本にのみ課せられたる大使命にして、これを世界に広むるには先(ま)づ日本の一切制度機構を真の大日本精神に復帰せしむべきである。而(しか)して統一完備せる国力を以(もっ)て人類社会の大混乱の解除救済に乗出さねばならぬ。これは一部自己民族の為に他を顧(かえり)みざる欧洲諸国の如き利己本意の精神に非(あら)ず、真に人類の味方となって世の矛盾を伐(た)ち真の大同和による人類最高の目標に到達せしめ万人の欲する摩擦なき世界を出現せんが為、大日本精神による聖戦を茲(ここ)に宣言す。         

大塚 寛一
(昭一四、九、一一、
    於橿原)  

大塚先生は日本の国に古来から伝わる「大日本精神」に基づき、まず日本の制度を改めること。そして「大日本精神」を世界中に広めていくことが、世界平和実現への道であると説かれました。大塚先生が建白書を送られた先は、時の内閣の閣僚や陸・海軍の幹部たち、知識人や経済界の中心人物たちでした。例えば賀屋興宣(かやおきのり)。第一次近衛内閣や東条内閣で大蔵大臣を務め、戦時中の経済政策を方向づけた人物です。小林一三(こばやしいちぞう)は阪急電鉄や阪急百貨店など、阪急グループの創業者。第二次近衛内閣では商工大臣を務め、論客としても知られていました。政財界を影で動かす実力者といわれた頭山満(とうやまみつる)。孫文や蔣介石と親交が深く、当時の日本において中国との太いパイプを持っていました。陸軍の大将でありながら、軍部の独走を抑えようとした宇垣一成(うがきかずしげ)は当時、東京・銀座で大塚先生からお話を伺っていたといいます。建白書は日本の政財界を代表する人々に毎回千通以上に渡り、送り続けられました。当時は言論統制が大変厳しい時代でしたが、不思議なことに、大塚先生が弾圧を受けることはまったくありませんでした。大塚先生の「不戦必勝」の道は、今日の観念的な平和論とは異なります。

もともと「神の国」としての役割を持つ日本が、戦争を回避し国家として発展すること、さらに、「大日本精神」を広めて世界の国々を指導することを目指されたのです。例えば日独伊三国同盟に関して大塚先生は、ヒトラーの野望をはっきりと見抜いていました。「ドイツは自己の利害以外いかなるものも、犠牲にして、かえりみざる利己主義の権化なり」とし、軍事同盟の締結に強く反対されています。

さらに、「日本が厳正に中立を守れば、イギリスや アメリカ、ソ連などの国々も日本の要求に応じるだろう。その結果日本は戦争に巻き込まれず、国力を充実させ、大日本精神を世界に広めていくことが出来る」と説かれています。大塚先生はその時々の状況に応じ、日本が進むべき道を具体的に示されました。しかし、時の指導者たちは大塚先生のご警告に耳を傾けることなく、昭和15年には日独伊三国同盟を結び、昭和16年にはアメリカ・イギリスと戦争を始めてしまいました。大塚先生は、終戦まで建白書を送り続けられましたが、日本の指導者はこれを受け入れず、ついに建国以来初めての大敗をきっしてしまったのです。

歴史に「もし?」はないといわれます。しかしもし、当時の政府が大塚先生のご警告どおりに進んでいたならば、日本は戦争に巻き込まれることなく発展し、今ごろは世界の先頭に立つ最高の国家になっていたかも知れません。

大塚寛一先生の建白書は、外交問題だけでなく、政治・経済・教育から宗教まで幅広い分野に及んでいます。大塚寛一先生が説かれた「大日本精神」は戦後、先生が開教された真の日本神道の教えの中に引き継がれています。私たち日本人と世界人類が生きていく上での人生の羅針盤として、永遠に輝き続けることでしょう。


この神からいただいた「命」を神界に佇立される大塚寛一先生に捧げます❗

神軍リクルーター ロニサランガヤ合掌