以下の内容は zeraniumの掲示板 より転載させていただきました。
なぜそんなに恐れるのか? 死とは回転扉に過ぎないのに
(肉体の死を通り抜け)自分にエネルギーを取り戻し、魂が肉体に住んでいた時の意識を取り戻すと、神と同じようなことを行なうようになる。魂は細胞に向かってこう言う。「おまえはもう私のいまいましい(肉体の)分子構造の中にいなくてもよい。だから私とともに来て、私のより大いなる”自己”の中に住もう。それは万物の利益のために、また人間の(肉体という)形態の中に再び住まねばならなくなる時のために」
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死の直後にはどんなことを体験しますか?
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肉体の中に生きる時と同じように、そこを離れる方法も千差万別である。意識(である魂)が肉体を離れる瞬間、人の創造性などのすべてが停止してしまうなどと、なぜそのように考えるのだろうか? 光や愛、愛する者の手に触れようと手を伸ばし、そのように望み求めるならば、求めた通りの感覚を得ることができる。
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だが(肉体の死によって)すべてが虚しく失われると信じているならば、不幸なことではあるが、信じた通りのことをわずかの間経験するだろう。だが自分が創り出したそうした中に長く留まることは許されてはいない。肉体を離れることだけで充分である。”自己”が肉体から解放された瞬間、そこには光と平安、そして自由と故郷がある。
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あなた方の世界の(個々の)意識の環の繋がりを、触れることのできる形で見せてあげられるとしたら、また世界を包むあの光を見せてあげられたら、あなた方は二度と疑いを抱いたりしないだろう。それは人間の限界である(個々を取り囲む)環を(死を通して)逃れる瞬間、経験するはずの慰めと安堵である。
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あなた方は静かに座して休息し、永遠の自己が存続することの恩恵に浴する。準備ができた者たちはかつて知っていた師たちと出会い、愛していた者たちとの喜ばしい再会がある。そう、つまり人間と何も変わらない。あなた方が自分の周りに形成したものは、あなたの意識に近いものである。
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意識こそが自らを創造するものである。だからあなたが自分の在り方の中に自分を見出すように、あなたは肉体を持たなくなった自分に対しても、それが自分であると解るだろう。
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地上での人生を終えたあなた方にはしばらくの間癒しの時があり、そのため、深い眠りに陥る多くの者たちがいる。彼らは自分を取り巻く安全と愛とを感じると、穏やかに目を覚ます。そしてまた喜んで、すぐに新しい在り方に入って行く者もいる。嬉しいことに多くの人たちは、この移行を即座に楽しいものと感じる。
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肉体の死の後に大抵の人にとって、今終えてきた人生における恐れと混乱と抵抗を、永遠という観点から理解するための時間が必要となる。そして無事に爽やかな大気に、つまりあなたが永遠に属する本来の世界に入ることができれば、あなたはいずれ長い休暇の後で好奇心を取り戻し、伸びをするような気分になるだろう。
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突然、今こそ立ち上がって動き出す時だと解る。そして大抵はそうだが、終えてきた人生での興味が新しくよみがえり、残してきた未完の仕事が思い出される。なので再び子宮に戻って行くのだが、それもよく熟考した後のことである。
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完全に光の方へ向かうという準備ができている場合、死の瞬間はどのようなものですか?
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その場合、その瞬間は不意打ちのようにはやって来ない。その人は人間であった時に、その曲がり角が来るのを気づいている。この地上の人の世界のものに愛を持って触れようとし、愛しているがゆえにそれらをすべて解き放つ。
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(依存しているもの、執着しているものを)解放して(手放しても)、何ものも失うことはないと解っているからである。起こることは、意識がより深い”一体感”へと溶け込んでゆくことだけである。
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光が感じられる前に、光の存在が解る。(肉体の死という)曲がり角に来ると、深い信頼を持って隅々まで明晰な意識を持ち、(この人生を)手放す時が来たら人は物質的なものを離れ、まっすぐに”光”へと向かう。それは肉体を離れるに先立って、すでに半ば振り向いているのである。
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もし生きている間に、心に人間の不完全さを理解し、自らを許すという智慧を見出すならば、死は瞬時に訪れて素晴らしく快いものである可能性は大いにある。すべてにバランスが取れていて魂の望みに適っているなら、眠っているうちに平和に世を去ることもある。
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覚えておいてほしいのは、私は「完全に進化したら」と言ったのではない。なぜならどの生涯にもそれなりの可能性と限界があり、それが十全に発揮されたなら、その人は平和に逝くことができる。
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だが次のような意見もある。「彼らは安らかに眠りながら死んだが、でも彼らは進化していない。なぜならこれこれのことをしなかったし、あのこともしていないから」と。だが彼の魂の今回の人生での仕事が何であったか、あなたはまったく理解できないし何も知らない。もしその仕事が完結していれば、人生はそのように終わる。
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現代では多くの人が、重い長患いをして死ぬ。だとしてもそれは、彼らの魂が決めたことを達成していないということではない。それはただ、彼らが世を去る状況を、そのように決めているというだけのことである。
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死の瞬間まで生き生きしているためには、人生において可能性のぎりぎりまで成長することにある。魂はその時点でもっとも価値のあるプロセスを選ぶ。それが他人を成長させることかもしれず、肉体にさらに留まって、意識を進化させることかもしれない。
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あるいは魂は、慌ただしく世を去ろうと決意するかもしれない。それは突然の死の瞬間までつきまとっていた、不要な恐れを改めて吟味しながら、この物質的次元の生の彼方で成長するためにだ。あなた方にとって死とは賛美すべきものではない。それはあなた方が何世紀という長きにわたり、信じてやってきたプロセスの一部に過ぎない。
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あなた方は(死を前にして)奈落の淵に立っているわけではなく、ただ永遠の本来の存在へと一歩を踏み出すに過ぎない。魂は準備ができた時、肉体を離れる方法を必要とする。親愛なる人たちよ、なぜそんなに恐れるのか? 死とは回転扉に過ぎないのである。
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エマヌエルのメッセージ








