はじめてのヨガ個人指導の日 | 家族の統合失調症に向き合った日々

家族の統合失調症に向き合った日々

何の変哲もなかった人生が、家族の統合失調症をきっかけに変わりました。この経験を、同じ悩みを抱え苦しんでいる方に届けたい一心で書いています。

こんにちは。

しんいちろうです。

 

 

結婚生活2年目、わたしはひとりぼっちになりました。

 

実家で療養することになった妻を送り出した家の中は、シーンとしていました。

 

妻は歌が好きで、よく歌いながら家事をしていました。

 

明るく賑やかな家庭でした。

 

それが一変してしまいました。

 

 

 

テレビを見る気にもなれなくて一人部屋でただずんでいました。

 

ヨガの個人指導を受ける決意をしたのは、この時でした。

 

 

自己流の瞑想やお祈りが原因で妻が統合失調症になったのであれば、そばにいた夫のわたしに責任があると思ったからです。

 

自分自身がヨガを学んで、妻がどこで道を誤ったのか知りたい、突き止めたいと真剣に思いました。

 

そして、もとの妻に戻ってほしい。

 

できることなら、わたしが戻してあげたいと考えての決断でした。

 

 

 

自宅からヨガの教室までは2時間30分。

 

電車の中では本を読むこともスマホを見ることもせず、車窓をボンヤリ眺めていました。

 

実家で療養中の妻は元気だろうか

 

ちゃんとゴハンを食べているだろうか・・・

 

そんなことばかり考えていました。

 

 

 

わたしは電車に乗って座るとすぐに眠るたちなのですが、その日はまったく眠れませんでした。

 

先生に駅まで車で迎えにきていただくことになっていました。

 

ピンクの軽自動車で駅のロータリーに現れた先生の笑顔を見た時、少し安心したことを覚えています。

 

 

 

 

わたしが受けた個人指導は、ヨガの運動と哲学を学ぶ4時間コースでした。

 

当時のわたしは、このままいくと間違いなく中年太りまっしぐらでした。

 

体はハリガネのように硬く猫背。

 

前屈しても指先は床から30センチは離れていたと思います。

 

 

 

先生と対面でヨガマットを敷いて、関節をじっくりと動かすよう指示されました。

 

動作と呼吸を合わせる練習をひたすらしました。

 

はじめは短い時間から始め、個人指導の回数を重ねるたびに増えていきました。

 

45分、60分、90分。

 

最終的には2時間にまで及びました。

 

その頃には、前屈も無理なくできるようになっていました。

 

 

 

先生と机を挟んで座って行う哲学の授業は、今のわたしの苦しみに照らし合わせて智慧を説いていく方式でした。

 

それが、どれだけ心の救いになったかしれません。

 

なぜこうなったか、どうして苦しいのか、なぜこのようなことが人生に起きるのか。

 

頭で考えてもわからない、考えれば考えるほど苦しくなる問い。

 

その答えは、人智を超えた智慧の中にあることを、わたしは苦しみの中で知りました。

 

この苦しみの中で聞いたからこそ、男のわたしが素直に聞けたのだと思います。

 

そうでなければ、疑いの心がわいてきたり、判断したり、他で聞いたことと比べたりして、頭で考えながら聞いていたと思います。

 

苦しみの最中にいるわたしには、もうそんな余力もありませんでした。

 

ただただ聞いていると、不思議と苦しみの原因がうっすら見えてくるような時もありました。

 

おかしな表現ですが、智慧の言葉がわたしの脳の回路を変えていくような感じです。

 

物事を深く考える回路が、わたしの中に構築されていくようでした。

 

その回路ができたから、妻の統合失調症を受け入れることができたのかもしれません。

 

 

 

 

来るときの電車では眠ることができなかったのですが、帰りの電車の中では、自然と眠っていたようです。

 

教室でした時と同じように、電車の椅子に座りながら静かに呼吸のリズムを感じていました。


その日の夜は、グッスリと朝まで眠ることができました。

 

 

 

苦しみで張り裂けていた心の傷が少し癒えたのでしょうか。

 

 

 


今日のブログがご参考になれば幸いです。

しんいちろう

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