チャクラひらいてる?―Baby Yogaでヨガ的育児・育自日記 -8ページ目

人の身体を観る、ということについて

「人の身体を観る」ということについて

私が、その日のクラスの内容を決めるときに、基準にしているのは、参加者の身体の状態、身体から発せられる「声」を聞くところからはじまります。
具体的には、それぞれの人の身体に「なってみる」という感覚です。
それは、子どもの頃よくやったモノマネのような感覚でもあり、潮来みたいにその人に成り代わってみるような感覚でもあります。

その先に、その人の身体から発せられている人の「声」は、私の身体を通して感じられ、そのガイドに従って生まれる欲求が、必要なメニューへとつながっていくのです。

そのことを講師養成講座でもお話ししていますが、それはなかなか難しいアプローチなようです。
感覚的なものでもあるので、私も伝えるのが難しい部分もあります。

また、それだけではなく、その身体の欲求だけではなく「目でみてわかる」感覚というのも使っています。
それは、例えば美容師さんが毛量調節するときにも、料理人が火のとおり具合を感覚的に捉えるときのように、ボディワークの目秤(めばかり)のような感覚が働くことから導きだされるものなのだと思います。

その感覚を身につけるためには、数多く人の身体をみたり触れたりするだけでなく、身体の構造や機能、表面にあらわれている状態とその人の抱える不調などの相関関係が分かるようになれば、自ずと身に付いてくる感性だと思うのです。

講師養成講座では、その具体的な「方程式」のようなものを受講生に伝えています。その方程式をもって、経験を重ねて、人の身体を観て、感じて、よりよい状態に近づけるアプローチを選択できるようになることが、私の望みです。