別れ | 人生を変えるファッションのはなし

人生を変えるファッションのはなし

ファッションという表現で新しい自分に出会うことで
世界は拡がり人生はカラフルに変化する♪

一体なにから書いたらいいんだろね

 

 

ここんとこ

なんだかとっても長い時間を

過ごしていたような感覚でした

 

 

 

 

6月24日の朝

 

 

母が旅立ちました

 

 

 

 

心も頭も身体もいっぱいだったんだけど

少し戻ってきたような気がするので

思うままに書いてみようと思う

 

 

 

 

遺影にする写真を探してたら

いろんな写真が出てきてね

 

 

母が20代の頃や

中学生の時のものまで

 

 

それがまた

すっごいおしゃれでさ

 

 

びっくりした

 

 

 

私が認識してる母は

ものすごく節約家で

服なんかほとんど構わなかったからさ

 

 

若い頃こんな風だったなんて

全然知らなかったんだよね

 

 

 

同級生の中でもひときわ目立ってて

 

赤やピンクや柄物や

いろんな色の服を着ててさ

 

ワンピースにパンツスタイルに

コーデもたくさんで

靴なんかも、服に合わせてぜーんぶ違うの

 

 

自分に自信なかったら

こんな風に撮れないよねっていう

ドヤ顔してる写真がいっぱいだった

 

 

驚いたと同時に

 

なんでこんなにおしゃれだったのに

やめちゃったんだろうなって思ったら

 

なんだか悔しさが込み上げてきた

 

 

 

お母さんは

もっと人生を楽しめたんじゃないの?

 

 

 

 

私ね

 

ずっと思ってた

 

 

 

母みたいには絶対になりたくないって

 

 

 

私の家は、物心ついた時から

常に怒鳴り声が鳴り響いてた

 

 

私は母から

父の愚痴ばかり聞かされてて

 

なのに結局はいつも言いなりで

そんな母のことがすごく嫌だった

 

 

母は本当に不幸な人だと思ってた

 

 

同時に私に頼ってくる母を

いつも救いたいって思ってた

 

子供の頃からずっと思ってた

 

 

 

苦悩してる母に何度促しても、

母は結局、父と一緒にいることを選んだ

 

 

私はそんな母を

ずっと許せなかったのかもしれない

 

 

 

 

母の癌がわかった5年前も同じだった

 

 

父のせいだと思ったし

 

猛烈に怒りがわいた

 

 

このとき母は、ショックと再発の恐れから

重度の鬱状態になってさ

 

 

今度こそ救いたいと思った私は

毎週末

母の元に通ったんだよね

車で往復4時間の距離

 

 

できる限り母に寄り添いたいって思ったし

母の妄想や恐怖に疲弊する父をみて

私が全部付き合うんだって思ったんだよね

 

 

それでも最後はやっぱり

母は父といることを選んだ

 

 

どんなに言い合いして喧嘩して

子供の私からは不幸に見えても

そんな二人を邪魔してるのは私だったんだと思う

 

 

やればやるほど無力で

途中から余計なことしてる自分に気づいた

 

私が救うなんておこがましかったんだ

 

それがわかって手を放した

 

 

 

もともと父と反りが合わない私は

会ってもすぐに喧嘩になるので

実家にも帰らなくなった

 

 

母から連絡がきたときだけ

東京で二人で会った

 

 

母が亡くなって

近くに住んでいたおじさんが言ってた

 

父と母はいっつも一緒に居て

特に最後の一年間、

母はとても幸せそうだったと

 

 

 

 

危篤の連絡から二日間

 

父と弟と私で

母の呼吸が止まるまでの時間を過ごした

 

 

奇跡だった気がするんだけどね

 

危篤になる直前に

母と電話で話したんだ

 

電話での母は具合が悪そうだったけど

「今回退院して次に会うときが最後になっちゃうかもね」って言ってた

 

 

息を引き取るまでの二日間、

家族全員がほとんど寝ずに

病室につきっきりだったんだけどね

 

 

この間、

どうしたって映し出されるんだよね

 

見たくなかった自分の内面が

 

 

無理矢理にでも向き合わざるを得なくて

目を背けたいぐらいの醜い感情が

何度も顕になった

 

 

父のせいではないと

頭ではわかっていながら

心の中で何度父を罵倒したかわからない

 

とにかくひたすら自分から湧いてくる

怒りや憎しみの声を黙って聞いていた

 

 

きつかったなぁ

 

 

意識がない状態の母は

もう痛みを感じてないはずなのに

 

呼吸をしている母が

苦しそうに見えて

 

やっぱり母は不幸だったんじゃないか

だから苦しんでいるんじゃないか

 

またしても決めつけている自分にうんざりした

 

 

母に対する感情も

父に対する感情も

 

湧き上がり続けるのは見事なぐらいに

自分のエゴでしかなくってさ

 

 

あっちの世界とこっちの世界を

何度も行き来しているような時間の中

 

母を通して見ていたのは

どこまでいっても自分だった

 

 

 

葬儀やら何やら

すべてが終わって帰る車の中

もうすぐ家につく頃

少しホッとしたのかもしれない

 

その瞬間一気に理解した感覚があった

 

 

母は間違いなく

私の魂を育てるために

存在してくれてた

 

「お母さんみたいには絶対にならない」

 

そもそも母のようになる必要なんて

初めからなかったんだよね

 

だけど、

母のようになりたくないって

私に強烈に思わせる必要があった

 

 

私が私の魂を生きるために

 

 

母を独占した父に対する嫉妬、

怒りや憎しみ

 

 

そして

私の原動力が今までなんだったのか

ってことに気づいたんだよね

 

 

私の原動力はいつだって

嫉妬や怒りや憎しみで

 

それはわたしの魂を

着火させる材料みたいなもんでさ

 

 

両親は、私の魂が行くべき方向に行くように

ちゃんと役割を引き受けてくれていただけだった

 

 

このことにようやく気づけた瞬間

 

 

ああ…そんなにも自分は

親に対する恨みを

自分の糧にしてきたのか

 

 

親に頼りたくないって言いながら

 

父を憎むことで

母を不幸な人にすることで

 

 

ずっと頼ってた

 

 

 

そうやってずっと

自分を奮い立たせてきたんだよね

 

 

そしたら

あれだけ親に向かってた

抵抗のエネルギーが

一気になくなっちゃってさ

 

 

金属バッドで骨を叩かれ

全身に振動が響いて

力が入らない感覚になったんだよ

 

 

それを船長に言ったの

 

「急に力が抜けちゃった。

なんかちょっと怖い」

 

 

そしたら船長が言った

 

「力が抜けるってことはいいことだよ」

 

 

 

ああ、そっか

 

これからは怒りや憎しみに

頼らないでいいんだな

 

やっとこれから自分で生きていくんだなって

思えたんだよね

 

 

またひとつ握りしめてたものを手放せたのかもしれない

 

 

 

お母さん

 

最後まで完璧に

 

私のお母さんを全うしてくれて

 

本当にありがとね

 

 

 

 

 

余談だけどね

 

母が亡くなって

実家で遺影にする写真を探してるとき

 

「確かいいのあったと思う」って

自宅にいた船長がパソコンから探してくれてね

 

弟の結婚式で船長が撮った一枚

 

母を真ん中にして

両隣は父と私

 

普段ほとんど化粧をしなかった母だけど

きれいにヘアメイクしてもらって嬉しかったのか

その時、船長に笑ってこう言ってたんだって

 

「遺影にするから撮って」

 

このときは

病気になる前で元気だった

 

かわいい息子の結婚式

左右には父と娘

カメラマンは娘の旦那

 

誇らしげな母の表情からは

喜びがにじみ出ていて

昔のドヤ顔を彷彿とさせる素敵な写真だった

 

そんな

何年も前の出来事を

船長は急に思い出したらしい

 

きっと母が船長に

「あのときのやつ使って!」って

思い出させたに違いないよね

 

 

お母さんが育ててた庭の花と野良猫