4 修行-スヴァルガ・アーシュラムの時代・・・① | Yoga Bija

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こんにちは、Emiですニコ

一昨日9月8日はシヴァーナンダさんのお誕生日でした。

世界のあちこちでお祝いの行事がされたんだろうなぁプレゼント

今回もシヴァーナンダさんの修行と奉仕の日々が続きます。

 

 

スヴァルガ・アーシュラム

 シヴァーナンダのリシケーシでの最初の二、三年間は、住むところも定まらない状態が続き、今日はここに、明日はあそこにというありさまでした。それを見ていたスヴァルガ・アーシュラムの長老たちは、シヴァーナンダに小さな小屋を贈りました。

 スヴァルガ・アーシュラムの小屋に移ると、シヴァーナンダの存在はすぐに皆に知られるようになり、アーシュラムの長老たちも会う人ごとに、シヴァーナンダに会って教えを受けるようにと勧めました。

 シヴァーナンダは自叙伝の中で、スヴァルガ・アーシュラム時代のことを次のように語っています。

「わたしは歯を磨いたり、身体を洗ったり、服を洗濯したりすることに多くの時間を取るようなことはしませんでした。時間が惜しかったのです。それらを手早く済ませてしまうと、あまった時間を修行にあてました。かと言って、身の回りのことを弟子や信者に頼るということは決してしませんでした。その頃のわたしは、修行や托鉢、手紙を書く時間など、きちんとスケジュールを決めていたのですが、徐々に多くの人たちがわたしに会いにくるようになり、わたしのスケジュールに少なからず影響が出てくるようになりました。そこでわたしは、アーシュラムの長老たちに許可をもらって、小屋の周りに柵をめぐらすようにしました。訪ねてくる人たちの前では、高度な哲学の話をしたり、知識を見せつけるようなことは決してせず、実践的なヒントを与え、一人、五分以内で終わらせるようにしました。入り口には『お会いするのは夕方四~五時までにしてください。一人、五分以内にお願いします』と掲示しました。

 冬の間は訪れてくる人があまり多くなかったので、瞑想に多くの時間をかけたり、散歩やキールタンにあてました。そして、二週間から一ヶ月ほど、スヴァルガ・アーシュラムを離れ、二枚の衣服と毛布を持ち、ガンジスの河原をさまよい歩くのです。家から家へと訪ね歩いては食料をもらいましたが沈黙の行をしていたので、村人とは話もしませんでした。

 それからしばらくして、わたしは部屋からもまったく出ないで、食事もそれまでの托鉢でとっておいた堅くなったチャパティだけを食べるようにしました。そして、夜、ガンジス河のほとりや岩の上に坐って自然と一体となることが、当時のわたしにとって名状しがたいほどの歓びでした」

 

 シヴァーナンダは身体を健康に保つために、アーサナ、プラーナーヤーマ、ハタ・ヨーガの浄化法などを行なっていました。これらに加え、わずかにランニングなどの運動もしていました。

 規則的なプラーナーヤーマは、スヴァーミージーに無尽蔵のエネルギー、驚異的な記憶力、力強い声を与えてくれました。また、プラーナーヤーマによって患部にプラーナ・エネルギーを送り、素早く治すことができるようにもなりました。

 シヴァーナンダはたいへん厳しい修行生活を送っていました。朝四時に起きると、凍るようなガンジス河に腰まで浸かり、陽が昇るまでジャパを唱え続けました。昇ってくる太陽(神)に礼拝すると、ようやく河から上がり、急いで部屋に戻ると瞑想をし、九時になると部屋から出て、彼を待つ病人のところに行きました。彼らの世話をした後、素早く身体を洗い、あまり人の通らない道をクシェートラ(給食所)まで行き、食料をもらうと、帰りもなるべく人に会わないようにして戻りました。その間、ジャパやプラーナーヤーマをすることができました。

 食事を持ち帰ると、自分の食べる分は部屋に残したままで、まずラクシュマン・ジューラーに行き、サードゥたちに配りました。それが終わるとまた部屋に戻ってきて、やっと自分の食事をとりました。

 午後はしばしば、巡礼船でガンジス河を渡り、ラーマ・アーシュラムの図書館に行きました(雨期は船が出ないので、遠回りしてラクシュマン・ジューラーを渡りました)。彼はいつも辞書を持っていて、解らない言葉はすぐに調べるようにしていました。たくさんの本の中でも、『ウパニシャッド』 『ヴィヴェーカチュンダーマニ』 『ヨーガ・ヴァシシュタ』 『アヴァドゥータ・ギーター』などがお気に入りで、中でも『ヴェーダンタ』は、彼の好みの書物でした。

 シヴァーナンダは、一日のスケジュールに、自分の考えやアイデアや経験をまとめたり記録したりする時間をきちんと割り当てていました。しかし、わずかなお金さえも病人や困った人たちのために使ってしまっていたので、何か書きとめるにしても、捨てられていた紙くずや封筒を裏返しにしたものを使っていました。インクを買うお金もありませんでした。紙とインクがあったとしても、夕暮れになり明かりが必要になると、あきらめなくてはなりませんでした。ランプにあまり油がなかったのです。

 

 

愛と奉仕に生きた聖者の教え

『シヴァーナンダ・ヨーガ』   成瀬貴良 編訳より

Emi