2 ヴィヴェーカーナンダ ・・・② | Yoga Bija

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 ラーマクリシュナとの出会い

 一八八一年十一月、知人のスレーンドラナート・ミトラ家に讃美歌の歌手として招かれたナレーンはそこで、図らずもラーマクリシュナと出会います。その後、この二人の間に起こるさまざまな出来事を思うと本当に運命的なものを感じます。

 このとき、ナレーンをひと目見たラーマクリシュナは、ナレーンの心が決して満たされていないことを直感します。そして、ぜひダクシネーシュヴァラに訪ねてくるようスレーンドラナート・ミトラを介して伝えてもらいました。数日してナレーンは従兄弟や数人の仲間と一緒にラーマクリシュナを訪ねますが、そこに待っていたのは狂人とも思えるラーマクリシュナの態度でした。ナレーンに讃美歌を歌わせ、深いサマーディに入ったラーマクリシュナは、ナレーンが歌い終わると彼ひとりを北側のベランダに連れ出して戸を閉めると、泣きながらこう言いました。

「どうしてもっと早く来てくれなかったのだい。なぜこんなにわたしを待たせたのだい。もう待ちくたびれてしまったよ。わたしの耳は世間の人のくだらないおしゃべりで汚れてしまったよ。わたしの本当の気持ちを分かってくれるおまえをずっと待っていたよ」

 そしてナレーンに、君はナーラーヤナ神の生まれ変わりだとも言い、まるで神に対するかのごとく振る舞い、部屋から菓子をもってくると、それをナレーンに食べさせようとナレーンの口もとにもっていきました。ナレーンは丁寧に断りました。

「お菓子は結構です、食べたければ自分で食べます。それにわたしはナーラーヤナなどではなく、ナレーンドラナータ・ダッタといいます」

 狂人とも思えるラーマクリシュナの態度から一刻も早く逃れたいと思ったナレーンは、もう一度今度はひとりで訪ねてくるようにと言うラーマクリシュナに、本心ではもう二度と来たくないと思いながらもまた来ることを約束します。

 みなの前に戻ったラーマクリシュナはいつもの明るい無邪気な彼に戻っていました。そこでナレーンは例の質問をします。「あなたは神をご覧になったことがありますか」と。ラーマクリシュナの答えは今までのだれとも異なり、とてもはっきりしていました。

「いま、わたしはこうしてあなたを見ているように神を見ています。あなたと同じように神を見、神に語りかけることができます」

 ラーマクリシュナの言葉に嘘のないことを直感したナレーンは心を強く動かされ、そして心が妙に安らぐのを感じました。しかし、ラーマクリシュナの子供のような無邪気な態度と、神を見たと言ったときの誠実さとに大きな隔たりがあり、ナレーンの頭は混乱してしまいました。また、偶像崇拝的なラーマクリシュナの信仰態度に必ずしも賛成ではありませんでした。若くて行動的なナレーンにとっては、一心に神を思って生きるよりも、社会改革のほうに強い関心があったのです。

 友人たちとダクシネーシュヴァラを訪ねてから一ヵ月近くたちましたが、ラーマクリシュナのことが気になって仕方がありません。そこで、約束したとおりにたったひとりでダクシネーシュヴァラを再び訪問します。ラーマクリシュナはナレーンを歓迎してベットの端に腰掛けさせ、喜びを満面に湛えてナレーンを見つめたかと思うと、片足を彼の身体の上に乗せました。すると、ナレーンはしっかりと目を開けていたにもかかわらず、部屋も家具も壁も、そして自我意識さえもが虚空の中に消え去っていくのを感じました。このまま死んでしまうのかと思ったナレーンは大きな声でやめてくれるように叫びました。ラーマクリシュナはにっこり笑って彼の胸に手を触れ、普通の状態に戻しました。

 西洋科学の知識もあるナレーンはラーマクリシュナのしたことを催眠術だと考え、知性も意思も人より数段強いと思っていた自分が簡単に催眠をかけられたことを不可解に思いました。そして、もう二度とかからないようにと注意をし、一週間後に再びラーマクリシュナを訪れました。今度は前のようにはなるまいと細心の注意をして、ラーマクリシュナにはあまり近寄らないでいましたが、ちょっとしたすきに、しかも以前よりもさらに簡単に手を触れられただけで意識を失ってしまいました。

 後日、ラーマクリシュナはこのとき、失神しているナレーンにいくつかの質問をしたことを告白しています。その内容は、ナレーンの素性、この世における任務や寿命などでしたが、ナレーンはこれらの質問に適切に答えたということです。彼の答えはかつてラーマクリシュナが深いサマーディに入ったときに見たヴィジョンと全く一致していました。

 ナレーンはラーマクリシュナに魅かれながらも、彼の弟子になってその教えを受けるということはありませんでした。ナレーンの知性がラーマクリシュナの感情的な態度や教えを素直に受け入れることを拒絶していたのです。大勢の弟子や信者の中でラーマクリシュナの言うことにいちいち疑問を投げかけ、議論を吹っかけてくるのはナレーンだけでした。「女神の石像なんて拝んで、いったいどんな効果があるというのですか」「あなたは神を見たと語ったというが、それは一種の幻覚なのではないのですか」などと、とても辛辣なものでした。

 しかし、そのようなナレーンの態度を見て、ラーマクリシュナは怒るどころかとても喜びました。そのうえ、ナレーンに対するラーマクリシュナの態度は弟子に対するものではなく尊敬に近いもので、むしろナレーンのほうが戸惑うほどでした。

 あるとき、ダクシネーシュヴァラを訪れたケーシャブ・チャンドラ・セーンが帰った後で、弟子たちに向かってこう言いました「ケーシャブの智慧の光はローソクのようだが、ナレーンの智慧の光は太陽のようだ」と。これを聞いたナレーンは師であるラーマクリシュナに、そのようなことは二度と口にしないようにと食ってかかりました。しかし、ナレーンのことで頭がいっぱいのラーマクリシュナにはそんな言葉は耳に入らず、恍惚の状態でさらにナレーンを讃美します。「ナレーンはなんという洞察力を持っていることか。それは浜辺のない光の海のように無限だ」「ナレーンは十八の異常な力を持っている。そのうちの一つか二つだけでも世界的に有名になるには十分だ」「彼はすべて不純なものを灰に変えてしまう炎だ」と、赤ん坊のように無邪気で、言いたいことを言い、思うように振る舞うラーマクリシュナに、ナレーンのほうが振り回されているかのようでした。

 ナレーンはカルカッタで両親と暮らしながら週に何日かラーマクリシュナのもとに通っていましたが、ナレーンがしばらく見えないとラーマクリシュナは落ち着きをなくし、カルカッタの町中、ナレーンのいそうなところを探し歩きました。礼拝中の寺院に入ったために大騒ぎになったこともありました。

 

 

 

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『いまに生きる インドの叡智』
ヨーガの源流から現代の聖者まで
著者:成瀬貴良 より

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