ヨガの先生って偉くない | ​瞑想とヨガと発酵で養う、ホントの自分

ヨガ以外もそうだと思ってますが、

 

何かを人に伝えるって言う仕事は、教科書を読んで教えることではありません。

 

偉そうに上から「私が正しい」「これが正しい」と言うことでもない。

 

 

自分が学びから実践し、そこから体験したこと、自分の内側からわき上がってくるものをお伝えすること。

 

その感性に共感して下さる方が自分の元へ来て下さるだけだと思っています。

 

 

 

アートの世界と同じ。

 

何かを表現するのって、自分の中からわき上がってくるものしか表現できません。

 

でも最初からそんなこと出来ないですよね。

 

それを表現するまでには、人を真似して技術や経験を積んでいくしかない。

 

そしてちょっとずつ自己流に色々表現しはじめる。

 

感性と表現が違ったり一致したりを繰り返しながら、だんだんとそれが精密に確実に表現出来るようになっていく。

 

今の自分の中にあるものしかお伝えできないんです。

 

自分の持つ感性・感覚・知識・言葉…全部を総動員して、

 

皆さんがそれぞれの感性で受け取って頂く。

 

ヨガの世界もお料理の世界も同じです。

 

きっとそれ以外の世界もそうじゃないかなあ?

 

全員感性が違うから、個性があるから、好きと言う人もいれば、嫌いと言う人がいることは普通のこと。

 

 

 

誰かに気に入ってもらうことをするのではなく、

 

いつも「自分」がどう在るか、自分の学びや感覚を深め続けることが大切と考えています。

 

でも身体のことや心の作用を皆よりちょっと知っているから、皆が道に迷ってしまわないように、ケガもしないで安全に行ってもらえるようにする先導さんの役割なのです。

 

だから、ヨガの指導者は偉くもすごくもなんともないのです。