専門の知識を得ることは、
情報に振り回されないことになります。
自己や世界の成り立ちをよく知ることに繋がります。
何かが起きたときその渦に飲み込まれず正しい判断をすることが出来、ずれたとき自分を連れ戻す手段になる。
どういう専門を学ぶかによって大きく道はかわりますが…(^_^;)
この情報化社会の中で、自分を見失わずに地に足をつける手段でもあると思うのです。
私はデザインの仕事柄、トレンドの最先端を知らなければなりません。
昔は流行ものに敏感で雑誌・テレビ・街のあちこちにアンテナを張り巡らせ、ピピピッとキャッチしていました。
ファッション・美容・健康・ダイエット・食・トレーニング…ありとあらゆるジャンルに興味を持っていましたし、
あっちに行ったと思ったらこっち、こっちに行ったと思ったら全然違うとこへ。
どこにいても情報があり、とても便利な世の中。
便利はいいことです。
ただ、自分のキャパを知らずに使いこなせず振り回されている人があまりにも多い。
私もかつてそうでしたからほんとによく分かる。
今はどうでしょうか?
「情報を得る」ことから「学ぶ」ということに変わり、段々と表面上の情報には惑わされなくなりました。
でも昔より世界の流れ方をより繊細に早くキャッチ出来ています。
私の知ることなんて全体のほんの一部。
それでもそういう変化が起こっています。
色々なジャンルの体験と学びを得て毎回おもうことは、
肝心なことは一切明るみには出されていない。ということ。
情報化社会の落とし穴と思うのです。
色々学んでいくと、メディア・雑誌・テレビ、、、そのどれもに本当に肝心なことはなく、
実はこんなにいいって皆が思い込んでいたアレは全然意味のないものだったとか、ずっと間違ったことやってた!!とか、自分にはこれをやっちゃいけなかったの!!??とか、
ものすごいショックなことが普通にあります。
トレーニングでも食事でも生活でも何のジャンルにも普通にそういうショックがありすぎるくらい、世間に出回っていることの情報には差が大きい。
そして段々と智慧が付いてくると、上っ面の表面上の情報には振り回されなくなります。
気になる事柄が出たら、足を運び直接専門を学びに行きます。
それでも諸説色々あることが多く、違う方面からの見方や知識をまた色々聞いたり試したりする。
そして、最後は大抵こういう結論です。
「自分の感覚で決めるしかない」
結局それ!?と思われるかもしれませんが笑
全ての人は個性が違うから
自分に合ったものは自分にしか最後は決められないのです。
そして、
感性と知性を養った判断と、
何も知らずに感性だけ、頭でっかちに知識だけでの判断は全く別の物です。
感性と知識、両方を持つことはその裏付けが自分の中で繋がるのでぶれにくい。
渦の中や外ではなく、台風の目のように渦の真ん中から観ている状態になる。
どちらも大切です。
一部がちらっとしか見えていない私はまだまだ学びと体験が必要ですが、
この社会の中で自分をしっかり持って柔軟に生きるために必要なことだとつくづく感じます。
いつも自分の中に知性を溢れさせていたいものですね。