私の生まれた家のこと | ハッピー楽しい事みーつけた❤️

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幸せに生きる生き方を探して
私の中で見つけた答えや経験を綴ってます

自分で感じたことを言葉にするのが好きです♡
よろしくお願いします



私の実家は兼業農家でね。


父はサラリーマンしながら休みは畑仕事
母も毎日畑仕事してた。
(赤字兼業農家😝)
両祖父母ともに農家で
私が生きるに農業は
採れたて野菜は当たり前にありました。
今思うとなんて贅沢なんだろ。

採れたてのトマトの甘くてみずみずしい美味しさ。

夏に毎日食卓に並んでも飽きなくて

めちゃくちゃ食べてた。

でも折り合いが悪くて
私は旦那さんの家の価値観に合わせて生きてしまいました。

自分も、そして

自分の実家の価値観も大切に出来なかった。

今書いてても哀しくなる、、、。

産後うつで、子供たちと引き離され
1ヶ月が過ぎた頃
(義父母、義兄夫婦義弟夫婦が交代交代で子供たちを見てくれた)
耐えられずに旦那の実家に会いに行くと、
子供達は何も言わなかったけど
別れ際に大泣きに。
何度もごめんね、ごめんねって謝った。
早く元気になるからね。
自分の事を大切に出来なくてごめんね。
寂しい思いをさせてごめんね。
心から謝ったけど、あの時の後悔は
まだまだ私の中にある様な気がする。
いや、あります。


離れ離れが辛すぎて
まだ折り合いの悪かった実両親だったけど
実家で住まわせて貰えないかと頼むことにしました。

今思うと、私も本当に甘えたかったのかもしれません。


発作を見て人はあんなふうになるんだなぁと
驚いた様子の父も、

自分もしんどいけど子供のためなら頑張ってくれる母も
渋々(と感じた)OKしてくれて
実家暮らしが始まりました。


後述するけどしっかり直さなきゃと
本気で向き合わなきゃ!と思ったんですよね。
 

息子の足は水いぼで偉いことになってたし
娘は人見知りで大泣きも酷くて
ずっとむす〜っとしてた。
あんなに笑顔で穏やかだったのに、、。

家族全員私の実家に行き暮らすが始まった。
ゆっくり流れる時間の中で
私はまだ頑張るを手放せなくて
保育園に預ける選択がなかなか出来なかった。

この私のエゴは実母の支えで成り立ってると気が付いた時、

ちゃんと周りに正しく甘えようと思いました。
保育園に預けて昼間は自分のペースを確保出来たり、

家事育児を変わってくれた事で
私は少しずつカウンセリング受けたり
ボーッとしたりが出来るようになって行きます。

お米もとげない栄養士って
私には苦でしか無くてキツかったけど、
何も出来なくても生きてるだけで、
そこに居るだけで
周りは受け入れてくれるを
体験するには必要な経験でした。

最初はテレビがついてても内容に興味も持てず

ただただ流れてるだけでした。
それが、自分の意思でテレビを見る📺行動をした時、

実母に、

「あー、見た!意思でたー!」

そう言われたこと覚えてます。
発作から1ヶ月。

まだ自分が鬱って知らなくてね。

息子が保育園入園のタイミングだったから、戻らなきゃ!が強すぎて、、
親に素直に甘えられなかったこともあり
心無い一言に心を閉ざし
自分が元気なら、こんなふうにならなければ、、後悔ばかり。
素直に甘えられずずっと我を張ってたな。
 

助けてもらわないと生きられない生活は
私にはかなりキツかったです。
薬も勝手に辞めて家に家族で帰ってしまいます。

それがいけなかった。
 

自分の意思で着替えようと思ってから実際着替えられるまで8時間かかりました。
次の日の入園式の準備を泣きながらして
無意識だったけど息子の晴れ姿見れるか分からないと感じてたんでしょうね。

前日にベランダで写真を撮り、制服姿に涙し

誇らしい息子の笑顔を見て涙が止まりませんでした。


本当に泣きましたね😭

後悔と、こんな親でもここまで育ってくれた感謝と

いろんなものが溢れて泣きました。


何とか入園式も参加出来たけど、、
薬が切れて来たんだと思う。

その夜にまた発作を起こします。
夜中に救急車で運ばれて
息子と娘は義父母のとこへ。
安心して寝たのに起きたらママ居ない。
その現実は子供たちのトラウマに
なってたみたいでした。(ごめんなさい)

 

闘病中にね、
訳の分からないことを言う私の言葉を
通訳するのは息子の役目でした。
当時まだ3歳とかだったよ。
 

発作になった時、旦那さんがまた

助けを呼んでくれました。

近所の親戚とかも来てくれて

実妹なんて、お姉ちゃんが鬱なんてありえんわ!!と

さんざん悪態ついてたけど駆け付けてくれて。

親戚は看護師さんだったから、救急車とか手配してくれて。

 

リスパダールの液体を夜間救急で飲まされて、

これがめちゃくちゃ苦くてね。
「苦!」
目はあかないけど意識はあるから
つい言葉にしたら
「良薬は口に苦し」
医師にそう伝えられた。
 

次の日ちゃんと担当医にかかるようにと言われました。

経過を話し、コミュニケーション取って
自分の病気と向き合う生活が始まります。

自分が鬱なのだと、
本当に私が鬱なのだと
認められるまでに半年かかりました。

でも、この受け入れるが大事だと、今は思っています。

 


季節の巡り
これを感じられる実家生活は
私の病気にとても良く作用して
なんにも無くなったと思ってたけど、
全てそこにありました。
良くも悪くも私はここで育ち、
大人になったんだ。
共依存だったから、親を怒らせて
サポート無くなった時、

1人では何も出来ない自分に愕然としたけど、、
共依存なりに生き方はあって。

それを否定せずにそのままを受け入れられてたら。
いいとか悪いとかじゃなく
私の生きてきた道を肯定出来ていたら
こんなに酷い産後うつには
ならなかっただろうなと思うけど
でも、病気が教えてくれたことは
本当に沢山あるから
傲慢になりやすい私への
戒めなのだと今は思ってる。

忙しくなりすぎて心を失い
感謝を忘れると教えてくれる。
自分が自分がってなったり
外に外にと求めすぎて
外から見えるものに執着してても
教えてくれる。

病気はなんか間違ってるよって
私に教えてくれるひとつのサインだと
そう感じています🍀*゜

もう二度と笑えない選択は
したくないけども、、、
私に必要な経験でした。

今、溢れる感謝の所に
戻ってこられたこと
有難いなと思います。

立派な親の元に産まれて良かった。
頼れる親でありがたい。
自分の生きた道を、
肯定して生きていきたいと今は思ってます☺️