2023.12.30昼&2024.1.2昼『ひばり』 | 猫はミュージカルの夢を見るか

猫はミュージカルの夢を見るか

猫と劇団四季が大好きなオバサンの、猫との日々と観劇日記。
愛猫は2022.2.8にお空に還ってしまいました。
観劇日記はサボリ気味です…。
2023年春から、バラを育て始めました。

注意長文です注意





2023年の観劇納めと、2024年の観劇初めの感想をまとめて。


12/30はおひとり様で1階上手ブロック2列めで観劇。

ウォーリック伯の椅子が目の前でしたにっこり


1/2は母と一緒に1階センターブロックのやや後方列。


少し後ろでもやっぱりセンターブロックの席は全体を見渡せて良き。


キャストは12/30も1/2も同じ。


今期、2回めと3回めの観劇でした。

初日では見落としてしまった貴婦人の佐和由梨さんと秋山知子さんを12/30の公演で認識。

場面転換で働いているキャストさんもよくわかりました。甲冑姿で槍に旗を飾っているグヨルさん(金久烈さん)や、シャルルの後ろにある紋章が入った幕を設置したり自分たちが座っている丸い敷物を出し入れする戸高圭介くんを、つい目で追ってしまいました。四季の他の演目でもキャストさんが場面転換がすることはよくあることですが、スタッフさんがやるよりも「失敗しないでね」となんだかハラハラしてしまいますあせる もちろんちゃんと転換のお稽古もしてるんですけどね。



初日のレポでは書かなかったキャストさんの感想を少し。


ジャンヌの兄役の戸高圭介くん。彼は、この世界でも私のヒュッゲでした笑

素朴な田舎者、毒にも薬にもならなさそうなつまらない存在感がすごくいい。ジャンヌに告げ口を責められた時のちょっと口をとがらせた表情に笑いました。

ジャンヌとの追いかけっこはほほえましくてほんわかラブラブ

突然のボードリクールの登場にビクッとしてすごすごと元の位置に戻る姿もかわいかったですラブラブ


シャルル7世役の田邊真也さんは、ベン(ロボット・イン・ザ・ガーデン)のようでした。ベンのようにいい人ではないけれど、情けなさと見ていてイラっとするのはベンと同じほんわか

脚の線が顕になるタイツ姿は、田邊さん自身のスリムな体型を強調して、なおさらシャルルが情けなく見えます。

牢獄でのジャンヌとの場面は、ジャンヌを見捨てた自分自身に虚勢を張って一生懸命言い訳しているシャルルが哀れでした。ジャンヌに対しては「大勝利〜!」という訳にはいかなかったのですね。

田邊さんは少し大げさな芝居がうまいですね。大げさな芝居の下に哀れさや悲しさが見えるのはさすが。


王妃役の小林由希子さんは手に持ったハンカチを口に当てたり握りしめる芝居がかわいらしいです。アニエスのことは割り切っているようですが、ヨランド王太后やシャルルがアニエスを褒めると、ぶくっと頬をふくらませて口をとがらすのもかわいい。


ウォーリック伯役の阿久津陽一郎さん、初日も12/30も1/2も、初っ端のセリフ「皆さん、揃いましたね」がちょっとガサついた声だったのが気になりました。しゃべりだすといつもの阿久津さんだったけど。

常にフランス人たちに対して優位に立って鷹揚な態度をとっているのが素敵です。

ウォーリック伯はずっと傍観者でいるのに、牢獄にジャンヌを訪ねた時には物語の当事者になってしまいます。「気狂い沙汰はやめてください!」とうろたえる姿がとても人間的です。



今回の公演は、セリフや物語の意味がビシビシ伝わって来ます。前回は膨大な量の言葉と難しい内容に圧倒されっぱなしで(それとグヨルさんの晴れ姿に見惚れて)、作品自体をちっとも理解していなかったなーと今更ながら思っています。

私はキリスト教には詳しくないのですが、聖職者たちは「人間は生まれながらに罪人」という考えで宗教的指導をしているんですかね? 『ノートルダムの鐘』のフロローもそんなことを言っていたような。

神の慈悲と人間の優しさ、そこにあるのは間違いなく「愛」なのに、神様の愛と人間の愛を頑なに「違うもの」と主張する異端審問官(味方隆司さん)に恐怖を感じます。「人間の痕跡を消して地上を神に捧げたい」みたいなことを言っているし。

人間の「愛」は傲慢で自分勝手で、神の慈悲のように愛を与えることができる人間はいないと、聖職者は思っているのでしょうか。

「奇跡」についても、ジャンヌは聖職者たちが「罪」としている「人間」を、「神の奇跡は人間そのもの」と言い放ちます。

それは神が人間を愛しているとジャンヌが信じているから。だから、天国はラ・イールのような荒くれ者でいっぱいだし、神様は喧嘩も面白がって見てくださるとも言えるのです。

私はジャンヌほうが神の教えを正しく理解していると思います。「理解」ではなく、心と体で「受け止めている」と言ったほうがいいかな。ジャンヌのセリフにもあるように、聖職者は神の心を頭で理解しようとして考えすぎているのです。

でも、ジャンヌと言葉を戦わせているうちに、異端審問官は「人間」であるジャンヌに対して優しさを覚えてしまう。神への疑問も浮かんだかもしれません。

それだからジャンヌを怖れ、ジャンヌに優しさを抱いた自分を怖れ、火刑台のジャンヌを見ることもできない。

ジャンヌを裁いたあと、異端審問官は果たして聖職者を続けられるのか、それともジャンヌと対峙して抱いてしまった感情や考えを封じて神の代弁者として生きて行くのか…そんなことを考えながら、2回めと3回めは火刑の場面を観ていました。


大詰め、火刑をまぬがれて牢獄にいるジャンヌを見ていたら、『ジーザス・クライスト=スーパースター』のゲッセマネの園のジーザスを思い出しました。

神の声が聞こえなくなり、苦悩するジャンヌは、孤独の中で神に語りかけるジーザスの姿に重なります。

「この物語は、私には大きすぎた…」と崩折れるジャンヌ。ジーザスも「苦き盃をこの手から取りたまえ」と神に訴えます。

自分がして来たことに迷いながらも、ジャンヌもジーザスも最後は自分自身として神のみもとに行くことを選びます。

「ジャンヌらしいジャンヌをお返しします!」というジャンヌの叫びは、「見てくれ、私の死に様!」と歌うジーザスの声に重なりました。


最後の戴冠式の場面に私は大きなカタルシスを感じます。

セリフの応酬にかなりの集中力を求められる舞台ですが、終わった時にはすごくスッキリとした気持ちになります。

シャルルの「僕たちの名前が忘れ去られ、ごっちゃにされようとも永遠に残る物語」というセリフや、ボードリクールの「そんな結末ってありますかい?」というセリフが爽快感を増してくれます。

前回公演では「難しい」としか思えなかった作品を、こんなに魅力的に伝えてくれる今回のキャストさんたちに、感謝したいです。



そういえば、カテコではける時に、初日はシャルルのあとにジャンヌが一番最後にはけていたのですが、12/30はジャンヌが先に、シャルルはそのあとから最後にはけていました。1/2もシャルルが最後でした。

シャルルのマントが長くて、五所ちゃんが裾を踏まないようにちょっとおたおたしながら歩いていたから、順番を変えたのかな。どうでもいいことですが。



1/5には、もう1人のシャルル7世役・笠松哲朗さんのデビュー公演を観ましたが、その感想はまた別の機会に。



今回も長文、おまけに私の勝手な解釈付きで失礼しました。

最後までおつきあいくださった皆様、ありがとうございます。


明日(1/7)は『アラジン』を観に行きます。今年初のアグラバー訪問。

岩城雄太さんのジーニーは初めて観ますが、評判がいいのでとても楽しみです音譜