2023年12月に当時27歳で、卵巣がんの宣告を受けた、ごく普通の28歳会社員です!
自分の経験やその時の気持ちを残しておくために、ブログを書いてます!
手術当日
2024/1/23
6:00
病院の起床時間に合わせておきました。
ついに手術当日の朝です。
普段と寝る場所が異なることや、
体に点滴がついていたり、手術のことを考えてしまって、
中々寝ることができませんでした。
朝は看護師さんが来て、検温と血圧の検査。
その後、500mlのOS-1(経口補水液)を渡されて、
手術時間までに半分くらいを目安に飲むように言われました。
これがまたおいしくなくて、、、
中々飲むことができませんでした、、、
手術の時間は9:00。
「10分前に一緒に病室を出るので準備してくださいね」と声をかけられました。
そして、手術前の浣腸。
何も食べてないので、もう出すものないよ~と思いながら、再度トイレに駆け込み。
そのあと手術までは、病室で過ごしました。
とにかく手術のことは考えたくなかったので、
ネットフリックスを見て過ごしていました。
また、手術後は集中治療室のような場所に行くため、病室に戻ってくるのは明日の午後とのこと。
手術のあと必要な身の回りのものをかばんにまとめるように言われました。
そのあとは手術に向けて、弾性ストッキングをはいて準備。
とにかく嫌で嫌で仕方なかったです、、、、
8:50
手術室に向けて部屋を出る時間。
看護師さんからいつ声がかかるか、とにかくそわそわしていました。
ついに声をかけられて出発。
手術室まで専用のエレベーターで降りて向かいます。
エレベーターに乗っていると、
私と同じように9時から手術の患者さんが、各階から乗ってきました。
「みんなこれから手術なんだな、、、」と不思議な気持ちでした。
手術室入口につくと、今日の手術の一覧が。
私の名前と手術室の番号を確認し、看護師さんと手術室へ。
手術室につくと、不安と恐怖で涙が止まりませんでした。
9:00
今回の手術はとても長く、約8時間の予定でした。
朝から晩までかかると思っててくださいとのこと。
手術室で主治医の先生が来るまで待ちます。
とにかくこの時は涙が止まらなかったです。
主治医の先生がやってきて、麻酔を入れることに。
「大丈夫だからね」と声をかけられ、
「麻酔入れますよ」と言われて2呼吸目には意識がなくなっていました。
手術後
ここから先は意識が朦朧としていたので、
覚えていることを書きますが、時系列などはめちゃくちゃかもしれません、、、
手術が終わると、声を変えられ目が覚めましたが、
正直あまり覚えていません。
前回の腹腔鏡手術とは比べ物にならないくらい、意識が朦朧としていたと思います。
それもそのはずで、今回の手術は前回の手術の2~3倍の時間がかかり、切っている部位も多いです。
この後集中治療室に運ばれたことは、覚えているような覚えていないような、、、
手術時間は想定よりも早く終わり、7時間程度だったそうです。
この日は朝まで集中治療室で過ごしました。
手術後に主治医の先生に声をかけられ、
「痛みが強かったら痛み止めを押してね」と言われたのですが、
痛み止めを押す握力もなく、まったく動くことができませんでした。
少し元気になった後にこの痛み止めを押して分かったのですが、
この痛みどめを押す強さがどのくらいかというと、
イメージとしては直径2~3cmのボールペンをノックしてペン先を出すような強さ、、(伝わりますかね?)
なので、そんなに力はかからないはずなのですが、
この時はその動作さえもできなかったです。
また、家族が手術を終わるのを待ってくれていたのですが、
看護師さんに「呼びますか?」と言われたときには、
しゃべることもつらかったので、「痛くて無理です」と答えたような気がします、、、
家族の話では、私の痛みどめが効くのを2時間ほど待ってから、少し会いに来たとのこと。
私は会いに来てくれたのは覚えていますが、
2言くらい家族がしゃべって、そのあと自分が返答したのかどうか、よく覚えていません。
そのあとは1時間ごとに看護師さんが来てくれて、
諸々確認をしてくれているようでした。
手首から採血をしたりもしていて、
手術から1か月ほど経った今でも、まだ手首に採血の後が少し残っています。
夜は意識が朦朧としながら寝ていましたが、
酸素マスクが稼働する音は今でも覚えていて少しトラウマです、、、