2023年12月に当時27歳で、卵巣がんの宣告を受けた、ごく普通の28歳会社員です!

自分の経験やその時の気持ちを残しておくために、ブログを書いてます!

 

 

 

3回目の診察まで

2回目の診察から3回目の診察の間は年末年始でした。

 

仕事も休みだったので、たくさん考えられるいい機会でもありました。

 

この時は正直諦めなくてはいけない、という気持ちはありつつも、

決めきれない、そんな状況でした。

 

 

妊娠出産ができないということももちろん辛いですが、

自分の臓器が自分の体からなくなってしまう、ということもつらかったです。

 

 

手術をしてしまったら私は女性ではなくなってしまうのか、

私は何者になってしまうのか、そんな思いでした。

 

 

がんという悪性の腫瘍がついている臓器でも、

自分の体からなくなってしまうと思うと、なくしたくない、という感情の方が強かったです。

 

健常な方からすれば、悪性のものなんて全部取ってしまえばいいのに!

と思われてしまうかもしれませんが、

悪性でもなんでも、自分の臓器がなくなってしまうというのは嫌なものです、、、、

 

 

 

また、年末年始はとにかくお参りに足を運びました。

 

これまでの人生であまり神頼みということはしていなかったのですが、

病気が治りますように、子どもを授かる方法があれば教えてくださいと、

すがるようにお祈りをしました。

 

 

人生で初めてお祓いも受けました。

 

こんな時だけ神頼みされても、神様も「都合がいいよ」と思うかもしれませんが、

それくらいしかできることがありませんでした。

 

 

有難いことに親しい友人からお守りをもらったので、

毎日毎日お守りをもって歩いていました。

 

 

いつも通りの年末年始に、少しだけお参りが増えた年末年始でした。

 

 

 

 

この期間に、妊娠出産を諦める決断まではできませんでしたが、

周りの人からの「自分の命を大切にしてほしい、最優先にしてほしい」という言葉や、

「生きていれば選択肢があるよ」という声かけで、

少しずつ「生きる」ということを優先して考えられるようになってきました。

 

 

自覚症状が全くない状況だったので、自分が病気という実感がなく、

卵巣や子宮を残しても大丈夫なのではないか?という気持ちがあったのが正直なところなのですが、

周りの人の言葉にハッとさせられることも多かったです。

 

 

また、少しずつ「子どもを産むことがすべてではない」という風に考えられるようにもなってきました。

 

そもそも健康な男女でも不妊治療を受けている人がたくさんいて、

卵巣子宮を残したとしても、子どもを授かることができるとは限りません。

 

 

親族からも、子どもを産めなくても幸せに楽しく暮らしてる夫婦もたくさんいるよ、と教えていただくことも増え、

考え方を変えられるようになってきました。

 

 

大学病院での診察(3回目)

2024/1/10

そんなことをして年末年始が過ぎ、次の診察がやってきました。

 

 

子どもを産むことを諦めなくてはいけないと、気持ちが固まりつつありましたが、

やはり決めきることはできない状況で、診察に向かいました。

 

 

先生からは、

「妊孕性を温存したい気持ちは痛いほどわかりますが、

命を最優先して、我々が全摘出する方向性に誘導してあげる必要性があるのかなと思っています。」

とのことでした。

 

先生のこの言葉を聞いて、

先生が私のためを思って言ってくださっていることがわかり、涙が溢れました。

 

忙しい中、毎回長い時間をとって診察をして向き合ってくださり、

患者の気持ちに寄り添ってくれて、本当に今でも感謝しています。

 

 

 

先生としては、詳細な検査結果を見たうえで、

卵巣子宮を残すのは危険だと考えているようでした。

 

 

そもそも20代で卵巣がんを発症していること自体が珍しいので、

慎重に向き合う必要があるとのことでしたが、

私の場合は「類内膜がん」という「上皮性のがん」であり、

25年ほど医者をやっている先生でも、

20代で上皮性のがんにかかっている患者は例がないとのことだったのです、、、

 

 

10代20代で卵巣がんを発症する場合は、「胚細胞腫瘍」の卵巣がんが多く、

卵巣がんの中でも、私がなった「上皮性のがん」とは異なるタイプのようでした。

 

「上皮性のがん」は30代後半から40代以降の方がかかりやすいタイプのがんだというのです。

 

先生としてはその点も踏まえて、

ステージ1とはいえ、卵巣と子宮を残すのは危険だ、という判断でした。

 

 

 

先生の話を聞き、

「もう全摘出するしかない、諦めるしかない、それしか選択肢がない」という気持ちでした。

 

最終的には決断をした、というよりも決断するしかない、という気持ちで、

涙ながら、卵巣と子宮の全摘出を選択しました。

 

 

手術の同意書にサインをするのは本当に本当につらかったです。

 

 

この日は診察の同意書や入院書類などにサインをし、帰宅をしました。