2023年12月に当時27歳で、卵巣がんの宣告を受けた、ごく普通の28歳会社員です!
自分の経験やその時の気持ちを残しておくために、ブログを書いてます!
検査結果を受けて
総合病院で卵巣がんの宣告を受けてから、大学病院での診察を受けるまでは4日間ありました。
この間は何をしてても涙が出てきて、何もすることができませんでした。
気を紛らわそうと、ドラマをみたり、曲を聴いたり、YouTubeを見たり、、、
いろんなことをしようとしましたが、何をしても涙が流れてきてしまい、泣き疲れていました。
自分はこんなに元気で、見た目も周りの人となにも変わらないのに、
自分だけはがん患者なんだ、、、
みんなとは違うんだ、、、、
どこにいて、何をしていても、勝手に涙が出てきました
ただ、ずっと家にいても仕方ないし、暗くなるだけだったので、
この4日間のもともとの予定にはそのまま参加することに。
会社の同僚や、趣味のバレーボールの友達と会う予定だったのですが、
今後のことを考えて、病気のことを話しておくことにしました。
正直なところ、誰かに話して、気持ちを少しでも軽くしたいと思ったのも本音です。
この時はうつ症状に近い症状が出ていたと思います。
常に涙が出てきて、自暴自棄になっており、
注意力も散漫していて、カフェに寄った時には、
買ったばかりのコーヒーをグラスごと倒し、こぼしてしまうほどでした。
こぼしたコーヒーを拭かないといけないとわかっていても、
体を動かすことができなくて、ただ店員さんに「すみません、すみません、、」と謝ることしかできませんでした。
病気のことを話すと、友達のみんなは泣きながら話を聞いてくれて、
応援してくれて、私のためならなんでもするよ、と言ってくれて、、、、、
とても素敵な友達を持ったなぁと思いました、、
ただまだしっかりと診断をしてもらっていなかったので、
夜寝る時も、「朝起きてがんが広がってたらどうしよう」とか、
少し肩が痛いだけで、「転移かな」とか、
とにかく毎日が不安で不安で、怖くてしかたなかったです。
大学病院での診察(1回目)
2023/12/19
そんな4日間を過ごして、大学病院での診察の日がやってきました。
この日は、まだ地元の総合病院から詳細な検査結果などは大学病院に届いておらず、
紹介状のみでの診察となりました。
大学病院は家からは約1時間半、正直近くはない距離です。
ですが、妊孕性を温存する方法が少しでもあればと、
藁にもすがる思いで、病院へ行きました。
担当してくれた先生は、婦人科の中でもとても有名な権威ある先生で、
病気のことをいちから、時間をかけて説明をしてくれました。
そもそもどういう病気で、どういう種類があって、
どんな治療法があるのか、、、
自分でもネットで調べてはいましたが、
暗い情報ばかりが目に入ってきていて、調べるのもつらかったので、
丁寧に対応してくださり、とても感謝しています。
先生の話によると、
- ステージはおそらく1のCの①
- 卵巣がんは初期症状がほとんどないため、初期で見つかることは珍しく、早い段階で見つかったのはよかったこと
- でも、卵巣がんは婦人科系のがんの中では転移がしやすく、慎重に治療を行わないといけないがんであること
- 今回の私のがんは「類内膜がん」であり、卵巣がんの中ではおとなしいタイプであるということ
- 治療方法としては、基本的には卵巣と子宮の全摘出になるが、覚悟があるのであれば、片側だけ残す方法など、妊孕性を残すための提案はできなくもないとのこと
- 初期段階であるので、1、2か月の間に手術ができれば問題ないこと、手術までの間は日常生活も今まで通り過ごせること
泣きながら話を聞いていたので、あとから聞き返せるように、録音をさせていただきました。
(自宅に帰って聞き直すことで理解が進んだので、できる方は録音させてもらうことをおすすめします)
この日は「まずはセカンドオピニオンとして聞いてほしい」とのことで、
「次回詳細な検査結果が総合病院から届いたら、
今回話した内容を踏まえて、もう一度相談しましょう」とのことでした。
自分の病気について、少しでもクリアになったこと、
今すぐ手術しなくてはいけないわけではないこと、
日常生活は今まで通りで問題ないこと、
妊孕性を残せる方法があるかもしれないということ、、、
いろんなことが自分の中で少しずつ安心材料になり、
先生の診察を受けて、かなり気持ちが楽になりました。
約1か月後に手術の予約が取れたので、
手術内容は後ほど決めるとして、手術の予約だけ取ることにしました。
診察のあとは、他の臓器への転移がないかどうか確認するために、
念のためCT検査を受けて、帰宅することに。
まだまだ考えなくてはいけないこと、
決めなくてはいけないことがたくさんですが、少し肩の荷がおりた気がしました、、、
仕事については、すぐに上司に状況を説明し、
1か月後の手術までの間は業務を行い、それ以降は傷病休暇に入ることになりました。
仕事も急に残りの1か月間ですべての担当を引き継ぐことになり、
急にバタバタと忙しくなりました。
後から思うと手術の内容、治療方法を決める、この1か月間が本当につらかったです。
自分でもまだ頭の中が整理できていない中で、
仕事を続けながら(引継ぎ作業をしながら)、今後の人生を決める決断をしなくてはならず、、、
aya世代のがん患者がぶつかる一つの課題だと思います。
※aya世代:若い世代のがん患者のこと
もっと病気のことを調べて、病気のことを調べる時間も欲しいのに、
引継ぎで忙しく中々時間が取れない、
周りの人に病気のことを伝えなくてはいけない、
すべてのことに疲れていました。
手術までの大学病院での診察は合計3回あったのですが、
長くなってしまうので、2回目、3回目の内容は分けようと思います。