2023年12月に当時27歳で、卵巣がんの宣告を受けた、ごく普通の28歳会社員です!
自分の経験やその時の気持ちを残しておくために、ブログを書いてます!
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病院から突然の電話
2023/12/13
手術が終わって約3週間。
日常生活はほぼ元通りになり、
会社にも通勤して仕事ができるようになっていました。
そんな時、朝10時ごろに、携帯に1本の電話がありました。
電話に出ることができなかったので、電話番号を調べてみると、手術を受けた病院でした。
なんだろう?と不安になりましたが、折り返しをしても病院の自動案内に繋がってしまい、
どこにつなげたらよいかわからなかったので、
「大事なことだったらまた電話がくるはず」そう思って、そのままにしておきました。
ところが、その後も2、3回病院から電話が。
平日で出社もしていたため、打ち合わせなどで中々電話にでることができず、、、
ただ、ただ事ではないと感じました。
なにかあったんだと、感じました。
そんな時母からLINEがあり、
「病院の先生から電話があって、20時に電話するから出てくださいと言われた」とのこと。
私に連絡がつかなかったため、自宅の電話や親の電話にも連絡がいっていたようです。
そして家に着いてすぐ、病院からの電話をとることができました。
電話口は手術を担当してくれた先生でした。
「手術後の経過はどうですか?問題ないですか?」
手術後の経過について、まず最初に聞かれました。
そして、
「前回の手術の結果が出ました。
1日でも早く、病院に来てください。
できれば親御さんなど、お話ができる方も一緒に来てください。」
とのこと。
悪かったんだ、と察しました。
すぐに彼に電話しました。
彼は決まったわけじゃないと、また励ましてくれましたが、
良性であれば次の検診の時でいいものを電話してきて、
なおかつ家族も一緒にと、、、。
母親も覚悟を決めているようでした。
検査結果
2023/12/15
電話が来た次の次の日。
母親と病院に向かいました。
待合室で呼ばれるまでも、正直心ここにあらず状態。
悪いことだと思っていましたが、1%のなにかの希望にかけていたことも事実です、、、。
順番を呼ばれ病室に入ると、手術結果の説明を先生から受けました。
「良性と思われた腫瘍だったのですが、
病理検査をした結果、悪性であることがわかりました。
卵巣がんです。」
「進行期はどのくらいなんでしょうか、、」
と母が聞いていて、
「ステージ1だと思いますが、2の可能性も、3の可能性もあります。」と、先生が回答していました。
この後は正直言われたことを細かく覚えていません。
とにかく泣きじゃくっていました。
本当に母親と一緒に行ってよかったと思います。
ただ、咄嗟に「妊娠出産はできますか?」と質問していました。
正直周りの友達と比較すると、そこまで子供がほしいという強い願望はなく、
いつか結婚して子供がほしいな、というぐらいにしか思っていませんでした。
ですが、それは当たり前に自分にも訪れるものと思っており、
自分が叶えられることができない、という認識が全くなかったのです。
先生は、
「今回腫瘍が両側にあり、どちらもがん細胞だったため、
この病院では卵巣と子宮を全摘出することになる」とのことでした。
自分ががんになってしまったということ、子供を産むことができないかもしれないということ、
いろんな不安が一気に押し寄せてきて、
自分でも感情がわからず正直泣くことしかできませんでした。
ただ、もしかすると、大学病院など不妊治療の研究が進んでいる病院に行けば、
妊孕性を温存する選択肢があるかもしれないとのこと。
先生に紹介してもらった大学病院へ紹介状を書いてもらい、
大学病院で意見を聞くことにしました。