今回は漢城百済博物館(한성백제박물관)についてお知らせしようと思います。
現在のソウル市内に古代百済の都があったのをご存知でしょうか。百済と言う名前は聞いたことがあるけれど、都がソウル市内にあったことは知らない方も多いかと思います。
百済というと忠南の公州や扶余にある遺群群は有名です。しかしそれらは百済中期以降の百済の都であり、前期百済は現在のソウル市内に都があったのです。
ソウル市内、公州、扶会、益山の各地域の百演連時群は、それぞれ百済歴史遺跡地区に指定され、整備が進んでいます。
百済は伝説では、紀元前18年に建国され、約700年続きました。700年の内、約500年間、漢城(現在のソウル)を首都としていました。ソウル市南東部江東区から松坡区にかけて存在する、風納土城、夢村土城、石村洞古墳群などが前期百済を代表する遺跡群です。
その後、南下を続ける高句麗の攻撃より漢城は陥落(475年)し、公州へ扶余(プヨ)へと遷都します。蚕室にある「漢城百済博物館」は、前期百済の都があった漢城時代と三国時代の歴史や文化に関する展示を主体にした博物館です。
都心部でありながら広々とした空間が広がるオリンピック公園の中に漢城百済博物館はあります。公園の中には百済の都城である夢村土城があり、公園の周囲には風納土城、石村洞古墳群など、前期百済を代表する遺跡が点在しています。
博物館のエントランスです。漢城百済博物館と漢字での館名表記もあります。
エントランスを入ると目の前に、実物大の遺跡の土層断面の剥ぎ取り展示が迫ってきます。どこの遺跡のものだと思いますか。
百済前期の都城の一つだった風納土城の土塁のものです。築造工事から城の廃絶、そして現代に至るまで、構築から完成、その後の変化が土層断面の変化から追えます。
築造当時の工事現場の様子なども想定し、人形などで復元されています。
展示室入口です。常設展示では、先史時代のソウルに関する展示に始まり、漢城百済時代の展示があり、漢城百済滅亡後と続きます。
百済時代以前の集落の復元模型です。
このような博物館でしばし古代のソウルの風景に思いをいたすのはいかがでしょうか。
所在地
ソウル特別市 松坡区 芳荑洞 88-20
(서울특별시 송파구 방이동 88-20)