昨日も終日背中を痛がった殿方。
大人しく座ってテレビを観ていたかと思ったら
殿方『うぁー!痛い!無理!』
と言い残し横になることを繰り返す。
その度に
私『背中揉んであげるから横向きか仰向けになって!』
と殿方を誘導する。
私『ここかな?それともここ…』
殿方『そこ!痛い痛い痛い!』
私『少し我慢して!』
殿方『うぅぅ…』
私『ここ、ここが張ってるのよ』
殿方『………』
私『痛くない?』
殿方『…少しラクになってきた…かも…スヤスヤ』
こんな感じで、幾度となくマッサージしてあげた。
殿方が少しでもラクになるならという思いと、痛がる姿をこれ以上見たくない、そんな思いが交錯した。
いつぞやは殿方に対し『もう知らん!勝手にせい!』と威勢よく突っぱねていた私。
でも、いざ目の前に病人がいるとほっとけない。
私だって身体中が痛い。マッサージしてほしい。
痛い痛いと言い続けて12年が経過してしまった。
最初の頃は亡き夫にマッサージしてもらったものだった。
亡き夫にお返しが出来ないまま永遠の別れを迎えたので、今度は私が誰かにしてあげる番。
そんな思いも強い。
亡き夫は生前、心臓の裏側を痛がり湿布を貼ってくれと頼まれたことはあったが、揉んでくれと頼まれたことがなかった。
亡き夫曰く、マッサージは苦手との事だった。
身体に張りを感じたら全身を鍼治療してもらってたと。
そっちのほうが効き目があったと言ってたな。
そんなことも思い出す今日この頃。
昨夜、夜も更けた頃、殿方がトイレに起きてきた。
ヨロヨロっと立ち上がりトイレに向かいドアを開け座った頃…
殿方『痛い!痛い痛い!』
という叫び声がトイレから聞こえてきた。
私は急いでトイレに向かい、少しだけ開いていた扉に手をかけ勢いよく扉を開け声をかけた。
ちな、殿方はトイレに行っても扉を少し開けて用を足す。
狭い中で締め切った感が嫌いなんだそうだ。
とまぁそんな事は置いといて
私『大丈夫!?』
殿方『うぅぅ…痛い…痛い…』
便座に座ったまま顔を真っ赤にして見たこともないような顰めっ面をして呻いてる殿方がいた。
用を足し終えたばかりだったので当然下はスッポンポンである。
でも今はそんなことどうでもいい。
脱いだズボンやパンツで転ばないように完全に脱がせ、立ち上がるのを介助しようとした。
殿方『大丈夫…立てるから…うぅぅ…痛い痛い痛い!』
狭いトイレの中に座り、直ぐには立てなくなるほど痛がる殿方。
心配でしょうがないが、大丈夫と宣う殿方に無理に手を貸そうとすると余計に嫌がるのは経験上分かる。
大丈夫と宣う殿方を信じるしかない。
やっとこさ立ち上がりスッポンポンのままトイレから出てきた殿方は、ヨロヨロしながら紙オムツに履き替えそのまままた寝てしまった。
夜寝る時は紙オムツという約束は今も守られている。
そんなこんなで、傍で見守る側としては心休まる暇がない。
唯一考えずに済むのは私も寝ている時だけだ。
今日もまた痛がるだろうか?
そんな事を考えながらこのブログを書いてたが、殿方が起きてきた。
今のところ常時酷く痛むことはないみたいだが、念の為に湿布を貼り変えようと提案、貼り変える時に痛む箇所の確認する為に押したら酷く痛がった。
やっぱり今日も痛い痛いと聞く日になりそうだ。