あの頃の僕から見えてた景色② | 難治性慢性疼痛の毎日(線維筋痛症と複合性局所疼痛症候群)Byアキ

難治性慢性疼痛の毎日(線維筋痛症と複合性局所疼痛症候群)Byアキ

2012年、線維筋痛症と複合性局所疼痛症候群を発症、それよりも前にデパス&ソラナックス&ロヒプノールを服用していた。病気発症に心当たりがないためこれら症状はベンゾ薬害だと私は断定。2019年、旦那と死別


5年以上前のこの年の梅雨は、チチとハハはケンカばかりしていたね。こんなこと初めてだったので僕はビックリしていたよ。


心臓が痛い、心臓の裏側が痛いと訴えるチチ、そうなってしまったのは自分のことで心労をかけ続けた自分のせいだと嘆き悲しむハハ。


次第にチチは、何やら知らんけどハハに対して怒りをぶつけるようになっていて、常に不機嫌で、それはそれは険悪な雰囲気だったね。


僕はその時知らなかったのだけど、チチとハハは初めて本格的に別居または離婚に向けて話し合っていたようだった。


その時に一番のネックになるのは僕の存在で、僕をどうするかでもけっこう揉めていたようだった。


本当は別れたくないハハ、もううんざりだよと吐き捨てるようになったチチ。そのチチの姿は僕がよく知っていたチチではなくなっていた。


あとになって分かったことだが、この時チチには好きな女性がいたんだ。


チチは初恋の相手と何十年ぶりかの再会を果たし、そこからお互い燃え上がったようだった。


前回のブログでも書いたが、仕事をする時間をセーブして暇を見つけてはその女性と会っていたようだった。


そんなことを露ほども思ってないハハは、これ以上は迷惑をかけられないと離婚するか、いやいや、チチにどんなになじられてもいいから一緒にいたいという気持ちを押し通すかで日々揺れていたようだった。


僕はそんな様子の2人に不安を隠しきれなくなりウロウロすることが増えた。落ち着かなかったんだ。


それが原因かは分からないが僕は次第に粗相することが増え、その度に身体が痛むハハに掃除をさせてしまっていた。


離婚話が出てからはチチは家にいる時間が更に減っていった。


表向きはいつも暗い顔をしているハハと一緒にいたくないということだったようだが、僕は知ってるよ。


好きになった女性と頻繁に連絡を取り合い、暇を見つけては会っていたんだよね。


あれだけハハのことを好きで、あれだけ2人は仲が良かったのにいきなり態度が変わったからね。


そういうことでもない限りはあの変わりようは変だったよ。ハハは全く気付いてなかったようだけど、僕は何となく分かっていたよ。


そんなチチとハハだったけれど、これが2人で行く最期の旅行となったベトナム旅行に行ったんだったね。


その旅行中もやはりチチとハハはケンカばかりしていて、たまたまなんだけど寝起きする部屋も別々だったんだ。


チチはこれ幸いと言わんばかりに一人きりの部屋で好きな女性と連絡を取り合っていたね。


その旅行中にいよいよ本格的に離婚するかどうか話し合ったんだよね。


『もう離婚しましょう』


とハハから言わせてね。


今にして思えば、そうやってハハに冷たく接することでハハから別れを切り出してほしかったんだろうね。


誰だって悪者になりたくないし、病気の妻を見放したと思われたくないじゃない?


そして、その旅行から1ヶ月も経たないうちにチチはいきなり家を出て行ってしまったんだ。


ちゃんとした話し合いも済んでないのにハハと僕をポツンと残して…。


ハハは仕方ない、仕方ないんだと自分に言い聞かせているようだったよ。


でもねハハ、仕方なく無いんだよ。


綺麗事だって言われるかもしれないけれど、結婚した時に『病める時も健やかなる時も』って誓い合ったでしょう?


お互いバツイチ同士で初婚で苦労したので、今度こそは幸せになろうねと慎重に再婚話を進めてったよね?


チチに『私を見捨てるのか!?』くらい詰め寄っても良かったんだよ。理解ある妻のフリなんてしなくて良かったんだよ。


今更言ってもタラレバなんだけどさ…。


続く。