「話が通じる」という幸せ  vol.2 | マタのブログ

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サッカー・・・やら親爺の独り言

まさか、こんな年齢になってから

独居老人になってしまうとは全く思ってなくて

 

しかし、そうなってしまったので

「人間の幸せ」って一体何だろう、、と模索してきました。

残り時間が少ないですからね。

 

 

 

まさに、「君たちはどう生きるか」、、そのものです。

 

 

 

 

 

で、今までの経験とか、様々な書籍とか様々なサイトとか

(運よくネットの世になったので無限に検索可能・・・)

色々色々、めぐり巡って、読んで聴いて見てみて

 

やっぱり「心が通じる」「話が通じる」だと感じます。

 

 

 

「話が通じる」と感動をともないます。心が満たされます。

「ああ、生きててよかった」としみじみと感じます。

 

 

 

 

 

参照(何回か取り上げていますが、引用です)

 

 

 

 

 

 

「話が通じる人」にめぐり合うことは

奇跡なくらいにまれなこと。

 

 

 

 

 

ちょっと残酷な表現になってしまいますが

やはり個人の人間としての脳内の「言語の規模」によって

他人の脳内がよく分かるという組合せは

そのレベルが近い、ということが必須のように思います。

 

 

 

ちなみに、知能指数の分布のベルカーブです。

 

 

 

 

 

 

やはり、これ、近い者同士でないと

感じ方が全然違ってしまうんだろうと思います。

 

 

 

誰でも、調子よく会話していたのに、相手の反応が

自分が想定していた範囲外であって、意外に感じることは

たまにあるんじゃないかと思いますが

それこそ「心が通じていない」「話が通じていない」ですね。

 

 

 

大抵の人は、話を合わせることは出来ても

 

「私はこれのここを話して聞いてもらいたい」という

心の底からの希求を相手に分かりやすく伝えて

それを、相手がほぼ正確に受け取ってくれて

なおかつ、相手も同じように何かを投げてきた・・・

 

というような、「心のやり取り」のような会話って

なかなかないんじゃないでしょうか。

 

 

 

ベルカーブのどの辺りにいる人であっても。

 

 

 

 

 

で、奇跡のように「話が通じる」人にめぐりあうと

満たされすぎて、うれしすぎて、仮に男女間であれば

深い深い恋に落ちてしまうような感じだと思います。

 

 

 

英語圏では、誰に対しても「LOVE」という単語を使いますが

基本的にはこんな感じの場合に使いたくなるんだろうと。

 

 

 

 

 

夕べ、プロフェッショナルで「宮崎駿と青サギと・・」が

再放送されていましたが、

宮崎駿と高畑勲の関係とかがちょっと近いかもしれません。

(宮崎駿の完全な片思いではありますが・・・)

 

 

 

動画を見ていたら、たまたまそんな奇跡の二人を見つけたので

今日はこんな話題になってしまいました。