今や、テレビ離れは若者だけではなく
幅広い年代で起こっている現象だと思われます。
一昔前以前は、ドラマであったりスポーツ企画物であったり
録画をフル活用していたものですが、今となっては
録画してまで見たい、という番組は数えるほどです。
その中のひとつが「ヒューマニエンス」です。
録画しても見たい番組の一つです。
ただ、録画したこと自体を忘れてしまうこともままあります。
人類は、いかにして「友情」なるものを獲得したか・・・
この番組に惹かれるのは、お題に関わる様々なことを
その道の研究者が自らの言葉で語っているからでもあります。
友情とは・・・
小さいので抽出・・・
血縁関係以外で
持続的で対等な関係を続ける者
そして、自己犠牲を伴っても相手のために
何かしてやりたいと思う心がある者
これ、明確ですね。
その通りだと思います。
そして・・・
ハタ、と気がつきました。
血縁関係である「家族」も基本的には同じで
自己犠牲を伴ってでも、家族のために何かしてやりたい
と思っている、、、というのが「家族」であるということ。
逆に言えば、そう思えなかったら
その時点で「すでに家族ではない」ということですよ。
とてもスッキリしました。
私は、妻と子供三人に対して(亡くなった父に対しても)
親の義務と責任、息子としての義務と責任を果たしてきました。
あるいは、社会人としての仕事とか親戚づきあいや
村づきあいなどの関係なども責任を果たしてきています。
毒親育ちなので、摩擦をおこすことも多々ありましたが
基本的に真面目(遊び好きだが)だし、自然は大切にするし、
倫理観が高めだし、性格的に浮気はしないし。
(見た目と中身が違うタイプなので大抵誤解されてますが)
で、三人の息子の就職確定を過ぎたところで、私の人生は
ほぼ終了です。あとは本当に「残り時間」とか「おまけ」とか
「余生」という感じです。体はもう老人の域ですからね。
あらためて思います。
もう、不信感のある家族といやいや関係していなくていいし
不信感のある人々と関係していなくてもいいのです。
一点の曇りもない、互いに信頼でき信用できる人だけと
残りの時間をすごせばいいのです。
「友情」のようなもので惹かれ合う人とだけいればいいのです。
「友情」は、とても「愛」というものに近いと思いますが
そういった惹かれ合う者といる、ということが
真の人間のしあわせなんだろなあ、と最近は強く思うし
残された時間は限られているので、そう生きていくのが
人間としてベターだろう、と感じています。
録画したこと自体を忘れていたのですが
やっぱり「ヒューマニエンス」とか「フロンティア」とか
録画してでも見るべきだな、と実感です。(人それぞれですが)
※息子三人については、何度も書いてきたように
心を入れ替えて全てを語る、というのであれば拒絶はしません。