自分はどのくらい頭がいいか(悪いか)、、 其の二 | マタのブログ

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サッカー・・・やら親爺の独り言

岐阜市のいわゆる「岐阜五校」の偏差値的なランクは

岐阜>岐阜北>加納>岐山>長良の順でしょう。

 

 

 

岐阜市や大垣市が学校群制度だった時代は

5群(岐阜・加納)>4群(加納・北)>3群(北・岐山)・・・

2群(岐山・長良)と1群(岐阜・長良)はよく分かりません。

 

岐阜高校には5群の生徒が半分と1群の生徒が半分。

加納高校には5群の生徒が半分と4群の生徒が半分。

 

 

 

なので学校群制度の時代、岐阜市で最も東大や京大、阪大や

難関私立大学に進学する生徒が多かったのは加納高校です。

 

次期岐阜県知事になるであろう、東大卒の官僚であった江崎氏は

学校群時代の加納高校出身です。

 

 

 

 

 

我々は5群から加納高校へ進学したのですが

じゃあ、私は加納の中でどれくらいであったかというと・・・

 

 

 

進学した大学のランクで言うなら「最底辺」です。

 

 

 

 

 

現在は「MARCHI」という言い方が一般的ですが

当時の高校生の感覚はもう少し厳しくて

 

青山学院と中央はいいにしても、それ以外は学部による・・・

「関関同立」も立命館については学部による・・・

名古屋の南山についても同様・・・

 

 

 

それ以下の大学には、高校の同級生の名誉のためにも

ちょっと進学しづらいので「河合塾」へ行くという感じでした。

 

 

 

 

 

私の場合、親が典型的な毒親で

 

 

勉強に打ち込んでいて、習い事も文化系なら可愛がられるけど

 

下品な友達とは遊んではいけない

スポーツなんぞもってのほか

クリスマスプレゼントはもっぱら書籍・・・

 

など、昭和の言葉で言えば「東大一直線」的な「教育ママ」的な

そんな家庭状況だったのです。(まあ、ありがちでしたが・・)

 

 

 

なので、私は小学校の高学年の頃には「反抗期」に入り

中学に入った頃には「家庭内暴力」が始まっていて

「積み木崩し」の世界に入りかけていました。

 

ただ、その時点で「母」が単身赴任中の「父」の元へ逃げ

私は親戚に預けられたので、そこで一旦落ち着いた、という。

 

 

 

 

 

落ち着いた、はいいのですが「野放し状態」ですから

生来の「好奇心の塊」「遊び好き」の「やりたい放題」です。

 

 

 

ブルース・リーを見れば手作りのヌンチャクに打ち込み

マカロニウエスタンのジュリアーノ・ジェンマに感化されて

大枚4,300円でモデルガンを購入、ガンベルトは自作で技を極め

「愛と誠」の高原由紀に憧れ「投げナイフ」を極め

一方、小鳥の「十姉妹」の繁殖にはまり、1500m走にはまり

ギターにはまって作曲まで始め、深夜放送を聴きまくり・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、こうして好きなことがかなり出来たということで

高校受験に好い影響があったのかもしれません。

 

 

 

そして、高校に入学したら、、 そこは天国でした。

 

 

 

 

 

高校の仲間には、三年間ガンガンに野球をやりながら

早稲田や慶応や国立大学に進学したヤツ等がいて

 

さらに社会に出てから、実績的に立派な人間になっています。

 

 

 

ヤツ等については「頭いいなあ」と漠然とではなく

こういう点のこういうところが賢い、と昔から思っていました。

 

 

 

 

特に、社会人になりたてだかちょっとしたくらいだったかの頃に

泥酔して「仕事の極め方」について語っていたことについては

私も泥酔していたハズなんですが

 

その内容に「ハッキリと明確に、勉強になる」と衝撃を受けて

それは今でもその通りだ、と思っていて

「いやあ、コイツはこのくらい賢い」と感じていました。

 

 

 

長くなってしまいましたが・・・

 

 

おそらく、あの時の加納の生徒たちは(そのレベルの人たちは)

それぞれが、「自分はこのくらいの賢さかも」というのを

回りのツレたちとの相対的な、微細な違いから

割と細かく認識していたのではないかと思っています。