”中国産かんぴょう歴史 3” | かんぴょうブログ

かんぴょうブログ

栃木県でかんぴょうの卸売問屋をしています。

弊社が中国干瓢の輸入を始めたのが

1987年

 

現在は中国公司と直取引して輸入しておりますが

その当時は「友好商社」の窓口を通さなければ

輸入できませんでした

 

農畜産物を輸出する中国側の窓口(国営企業) 

「中国土産畜産進出口総公司」

「遼寧省土産分公司」一番の偉いさんと先ずは「乾杯」

 

中央が「遼寧省土産分公司」朱戦生総経理  小生39歳でした(右端)

 

名刺を渡されびっくり

文字が盛り上がっております

手書きとの事でした

 

この年代は 中国の職工さんの賃金は月9000円位で

田舎(農家)では一家の年収が10万円と言われておりました

 

貧富の差は大きく この総経理はブランドのネクタイ 時計はオメガ

 

テーブル一杯のご馳走と50°の白酒の乾杯で熱烈歓迎されました

 

この当時 名刺交換をすると

 

各々凝った名刺を作っており

香水が香るのやら 虹色に輝くのもありました

 

中国干瓢の輸入は トン当たり何百ドルという

ドル建て決済です

この当時の為替相場は 1ドル=¥140~¥200で動いており

輸入価格は@¥4~500で国産干瓢の2~3割の値段でした

それでも干瓢の価格は 中国農産物の中では抜群に高かったので

年々倍々ゲームで生産が増えて それに連れ品質も良くなってきました

(生産量の推移は下記「中国かんぴょう歴史1」に)

 

農村部にある かんぴょう選別工場には若い職工さんが

人海戦術で 製品の種(異物)を取り除いたり 細く割いたり

大勢働いており活気に満ち溢れておりました

 

遼寧省瓦房店市のかんぴょう選別工場

 

 

 

つづく