バッハと私(339) バッハと歩行習慣 | 日々新面目あるへし

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ブログを続ける指針に、会津八一の書「学規」に学びたい。
 一、この生を深く愛すへし
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 一、学藝を以って性を養うへし
 一、日々新面目あるへし

2016.4.10

 歩きながら思った、歩行習慣は案外にバッハに行き着いた事
に似ているではないか。バッハの音楽の妙は、演奏者は繰り返
し奏することで、演奏者でない自分は、繰返し聴くことでその
妙に出会っている。

 実際の経験から、それがバッハの音楽の妙につながっている、
歩行も継続して日々繰返すことでその妙に出会っている。繰り
返しを継続する、そこに無意識の力の働きがある、妙とはそう
いう時間を必要とするものと覚える。

 七十代に入って、そういうあり方を覚えるとは遅いようだが
それが妙と思いたい。歩行は無意識層の本能、バッハは無意識
の個性につながっっているように思える。しかし本能も個性も
明らかに生命の働きに他ならない。

 周囲を見渡すと歩く人と歩かない人がいる、それは歩かない
のではなく未経験から歩けないのだ、またバッハの音楽も聴か
ないのではなく、同様に未経験から聴けないのだと思えるのは
独断と偏見であろうか。

 最近は歩行とバッハの音楽の妙を、人にすすめることは難し
いというより、むしろ自然現象としてすすめない方が良いよう
に思っている。人生の妙とはそういう範疇にあると思いたい、
老年のたわごとと自覚しておこう。