「祐美なら大丈夫、できるよ」
「まずはやってごらん」
小さい頃から、わたしはいつも母にそう言われてきた。
そして母にこの言葉を吹き込まれたわたしは、なぜか次々と立ち向かってくる困難を乗り越えることが出来た。
時には嫌いな野菜を食べることだったり、時には1番になれないことが怖くてスタートラインに立つことすら怖くなったことだったり、時には友達と喧嘩して学校に行きたくないことだったり、時には怖いテレビを見た後にトイレにいくのが怖い時だったり……
他にも書ききれないくらい、大小問わず様々な困難をこの母の言葉に救われながら乗り越えてきた。
なぜできたかわからない時も、いつもこの母の言葉に救われてきたのは事実だった。
母は魔法使いなのか?
月日が経ち、わたしは社会人になった。
大学時に母の勧めて地元から離れた学校に進学していたが、就職活動時には母は地元に帰って来て欲しい、と言うようになっていた。いや、正確に言うと、母は「自分の好きな道を選ぶといいよ」と言っていたものの、本心は「帰ってきて欲しい」と言う気持ちが見え見えだった、と言ったところだろうか。そんな母の気持ちを押し切って自分の行きたい道を選んだ。
わたしが選んだ道とは、全国転勤、営業職、今まで苦手でしかなかった分野。
なぜ、その道に飛び込んだのか。
魔法使い(母)無くしても私は生きていける! と、証明したかったのか。
それは今もよくわからない。
自ら、地元に帰るという選択肢を断ち、意気揚々と社会に飛び出したわたしであったが……
どうなったかというと、まんまとどん底に落ち、這い上がる術さえも見失った。
社内学力テストはいつも最下位
プレゼンもいつも不合格
何をやってもうまくいかない
まるでこの会社に君は何しにきたんだ?
と、「不合格」のレッテルを貼られているかのようであった。
わたしにはできない。
たまらなくなった私は、気づいた時には遠い地元で暮らす魔法使いに泣きながら電話で助けを求めていた。
きっと魔法使いの言うことを聞かなかったからこうなったに違いない。
魔法使いはと言うと…
「大丈夫、できるよ。それでももう無理だと思うなら帰っておいで。」
そう言って、翌日にはわたしのいる研修中のホテルへ食べきれないほどの地元の特産物を送ってきたのだ。
そしてまた魔法にかかるわたし。
それからまた月日が経ち、自分が母になった。
何かあるとすぐに泣きわめく息子。
「大丈夫、息子くんならできるよ」
「チャレンジしてごらん!」
気づいたら、わたしも魔法使いになろうとしていた。
でもなぜか息子には魔法がかからない。
なぜ、どうして。
思い返すとわたしの母は、地元の田舎町ではわたしの知る限り一番のチャレンジャーで、切込隊長みたいな人だった。やりたいと思ったことにはどんなに敵を作ってもイノシシのように突き進むような人で時に娘でいることが、恥ずかしいと思うこともあった。
でも、わたしはそんな母を見て育ったのだ。何が出てくるかわからない真っ暗闇の獣道にも木の棒一つで切り込んでいく母の姿を見てきたことが、わたしの目の前に佇む大きな山を切り裂く自信に変わっていたのかもしれない。
そうか、わたしの母も魔法使いでもなんでもなかった。
社会人の壁にぶち当たり、泣きながら助けを求めてくるわたしに、
「それでももう無理だと思うなら帰っておいで」
と母は言ったけれど、わたしが帰ってこないことはきっとわかっていたのかもしれない。
その言葉がまた悔しくて、もう一踏ん張り出来る事を母はきっとわかっていたのだと思う。自分がその姿をわたしに見せてきたから。
子供は、親の姿を見て育つ。ひよこの刷り込み学習のように、生まれた瞬間から目の前にいるのは母親であって、子供はいつもその背中を見て育つのだ。どんなに似ていないと思っても、いつか似てくる。知らず知らずのうちに刷り込まれているから。
母は身を以てわたしにそう教えてくれたのだ。
わたしは今息子にどんな姿を見せられているのだろうか。
息子には、どんなことにもチャレンジでき、広い世界で生きていける子に育ってほしい。
だとすれば、まずは自分がチャレンジし続けること、それが息子にとってのチャレンジへの大きな一歩になるではないだろうか 。