増えたと言うより、スマホが普及してからほとんどがそんな感じ。
あまりに便利すぎて、実際に現場におもむき知識を得る必要がなくなりつつある。
脳みそに蓄積すべき知識を片手間にスマホで検索で片付けるものだから、思考するための知識が不足して考える能力が大幅に低下。
論理的。という言葉は化石のよう。
AIが今、人の思考をはるかに凌駕している。
そんなAIはどうやってそこに行き着くのかというと、知識を与えられ、勝手に勉強してもらうんだよね。
人間よりもはるかに短縮した時間のなかで、地道にたくさんの勉強する。
やってることはとても地道。
結局はそれしか方法がないからだよね。
それとは逆に人間は経験して学ぶことの大事さを忘れ、狭い知識のなかで話をするものだから話にならない。
こんなで大丈夫なんだろうか?
今、コンピューターと言う言い方は古いかもしれないが、今よりはるかに演算スピードの速い量子コンピューターと言うものが誕生しつつある。
こんなものが一般化した時、一部の勝者を除き、人はさらに退化の道を辿るような気がする。
そう遠くない未来、スマホに目を落として頭を垂れながら街を歩く映像が紹介され、あの頃はこういう迷惑行為が当たり前でしたなんて言われるのだろうね。
もうその頃には、スマホ見ながらなんて必要は無くなっているだろうから。
それ自体は時代の反映だからおかしいとは思わないが、スマホに頼りすぎて思考に必要な知識が欠如した人間が大勢いて、社会の迷惑になっていたのがこの時代。とか言われたりしたら情けないと思うよね。
「不適切にもほどがある」
と言うドラマの最終回で、寛容と言う言葉を最後に出してくるのだが、そうなるために必要なのは経験と知識の豊富さなんだよね。
情報がない、あるいは知らないことには、生き物は不安を覚える訳ですからね。
そんなですから、経験と知識も不足している現代人が寛容に至るのはちょっと無理だね。
むしろヒステリックに向かってるでしょ。
SNSなんか見てると、もうそんな感じだもんね。
部外者がしゃしゃり出てきて、なに言ってんだか分からない。
まともな方は困惑する。と言うわけだ。
まっ、戦争もアチコチで勃発して一向に終息する気配が見られないし、これは早くフェードアウトした方が幸せかもな。