先日、息子(次男坊)が秋鮭1本を手に我が家に現れました。
「クーラーボックスに入らないから貰ってくれない?」と。
本人曰く、6匹釣れたけど、どうしても1匹だけが入らないらしい………
とは言いながら、まだ1匹も釣り上げていない私に持ってきてくれたのだなと、その気持ちがとっても嬉しかった。
突然来た息子に、何か持たせるものはないかと冷凍庫を見ると自分用に茹でたジップロックに入った枝豆しかなく、息子に「食べる?」と聞くと大喜びで持って帰りました。
息子「物々交換だね~」と。
秋鮭と枝豆の物々交換
市場価値を考えると差がありすぎかもしれませんが、これが物々交換の楽しさなのです。
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2年前にメルカリでタケノコを購入してから、物々交換をしている方がいます。
こちらの広島にお住まいのYさんから、先日栗が届きました。ご親切に皮まで剥いて送ってくださいました。
私⇨メルカリでタケノコを購入後、あまりにも美味しくてコメントで感謝の気持ちを伝え、再度出品してほしいと伝える
Yさん⇨タケノコを裏山から掘り、送ってくださる。(メルカリでの取引ナシ)
私⇨大喜び嬉しくてボタンエビを送る(頂き物)
Yさん⇨大喜び秋に栗がきた
私⇨春に山ワサビ、行者にんにくを送る
Yさん⇨春にタケノコがきた
私⇨収穫したニンニクを送る
Yさん⇨裏山で獲った栗がきた
Yさんからは、自分は裏山で獲るだけで栽培はしていないのでお気遣いなく、と連絡がきます。
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また、縁があって奈良の方ともやり取りがあります。
いつか里山で暮らしたい、そんな気持ちを応援したくて、手元にある物を送ったのが始まりです。
その方からも、たくさんいただきました。
編みものが全く🙅な私は、右下にある「アクリルたわし」を少し頂きたい」と伝えるとこんなにたくさん
これ、全部手編みです。
アクリルたわしをジーッと眺めて、使うのを躊躇いました
以前にも……
どこにもない、心の込もったオリジナルの作品です。
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広島の方も奈良の方も、最初から物々交換をしようと話を持ちかけた訳ではなく、自然にこうなったというほうが近いです。
北海道にはない、タケノコや大きな栗
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広島にはない、行者にんにくや山わさび
大自然から頂いた自然栽培のお野菜や昆布など
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得意な事や趣味で作られた作品の数々
互いの土地にはないものを食べて貰いたい、そして相手に喜んで欲しいと言う気持ちから今に至っているような気がします。
共通しているのは
お互いに相手に見返りを求めてはいないこと
損得勘定ではなく、相手の喜び重視
そこに金銭のやり取りが全くない
過去記事
私は誰かが喜んでくれるのが自分の喜びです。
そして、ほとんどの人がそうだと思っています。
ありがたいから、嬉しいから、何かでお返ししたい。
そんなやり取りって誰もがあると思います。
物々交換は
感謝の心の交換、喜びの交換なのではないかと思います。
畑をお借りし、出来たお野菜を持ってお礼に伺った際にも、栽培方法や体験話も聞けたりします。
また、いただいたお野菜をこうして調理したとか、レシピ情報もお互いにとって楽しかったりします。
先日は、愛車のウインカーの電球がきれた時に、友人の整備士に交換してもらいました。
「中古のだからいらないよ~」と、料金を受け取ってもらえない。
なので友人には、大量に漬けたキュウリの焼酎漬けをお持ちすると大喜び
後に「旨すぎてすぐなくなった」と連絡。
これも、サービスとモノの交換です。
感謝の気持ちを、なんらかの形でお返しする。
こういうのが、物々交換の楽しさなのです。
お互いが笑顔になれるのです。
自分の地域にないものをいただける喜び
自分が不得意とするものをいただける喜び
自分が出来ない事をしてもらえる喜び
縄文時代は、喜びが溢れる平和な暮らしだったのではないかなと想像すると、自分の周りだけでも作れるのではないかと、妄想してしまいます。
貨幣がなくとも生活出来ていた時代。
未来は、貨幣を必要としないそんな世界になるといいですね。
そして、その世界を創るには私たち1人ひとりが、心の持ち方を変え、感謝のエネルギーを使うと不可能ではないのかもしれません。
笑顔、感謝、喜び、支え合い、与え合い、助け合いだった世界を、憎しみ、恨み、悲しみ、奪い合い、蹴落とし合いに変えてしまったのは、貨幣(お金)に惑わされ続けてきた、人の心が創り出した世界なのだな、とも思っています。
なぜならば、私自身がずっとお金の奴隷でしたから
だからこそ、今自分には何が出来るのかを模索しながら生きています。
本日も、長々とお読みくださり感謝いたします。
文章では、なかなか伝わりづらいと思いますが、この楽しく素晴らしい喜びと感謝の世界が、少しずつでも広がりますように。
ありがとうございました🤗