一人一人の宿題 | カツサンドBOX

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これといって趣味がないのですが、ポップミュージック聞いたり、映画・ドラマ・舞台そしてAVまで、『いいな』と思うモノや人に『外野アルプススタンド的』感想文を書いてます。
(ブログ内容はちょくちょくマイチェンしております)

帰宅すると土日に聞いていたFMおとくにが部屋で鳴っていた。

古後さんとAkiさんの番組『ミュージック・サァカス』😄✌️





古後さんは(↑上の写真の男性の方。写真では気難しく写ってるが喋りはモーレツに柔らかい)クラシックのピアニストでありながら多角的に様々な音楽への造詣があり話が豊富で楽しい。


そしてもう人のAkiさんは(↑写真では女性の方)声楽家でありフランス大好き女子。ならば、いつかジュリエット・グレコの「Qu'on est bien」を歌って頂だける日を心待ちにしたい。


番組ではゲストを呼ぶ事も多いがゲストに喋らせる技術を持っていらっしゃててマジで感心しきり。

『歌って踊らず喋らせる』

ただ者ではない、だから人はAkiさんを『猛獣使い』と言うのだろう

😁😁😁


さてこの番組

クラシックの番組なのだが、クラシックに敢えてこだわらない、クラシックをベースにした新しい音楽番組。演歌さえもクラシック番組でかける。ジャズも飛び出す。映画音楽もセレクトする。古後さんの即興演奏もあるし、Akiさんの無茶振り提案もうなんでもかんでも『音楽』にしてしまう。そんなところが多彩で愉快で他のクラシック番組とは一線を引く音楽番組なのです。


枕が長すぎて恐縮です。

では本題。


帰宅して着替えながらAkiさんが妊婦さんへの気遣いが希薄だと喋ってた。また、交通事故関係の話も語っていた。

気遣い……僕も下手🙇🙏

なるほどそれは有るかもなぁ。

日本人って思いやる気持ちを行動に出すのがいまいち出来ない。

海外だと思うより話す文化だから、職場の人や隣近所の人には、無言で通りすぎる方が珍しいのかも。

『どうした?顔色悪いけど』なんて普通だ。


また、交通関係の仕事で、外回りをしている僕にとっては『交通事故』は避けて通れない。ネタなんて有りすぎる位持っている。(←それもどうかと思うが😅)他人事(ひとごと)ではないので番組にメッセージを送ろうか悩んだが長くなるのでやめた。そこでブログのお題として書いてみようと決めた。




妊婦さんの話ではないのだが、

僕はバスで出勤・帰宅する。夕方から夜にかけてバスは混んでいる。

東京のバスは前乗りという事を念頭に置いてほしい。様々な乗客の中にはベビーカーに赤ちゃんを載せてバスに乗ってくるお母さんも居る。そういう人の為、専用シートが用意されている。バスによるのだが現在は二席ある。



実はバスにベビーカーごと載せられる席は一席だけだ。しかもそのシートはエントリーしてから右側に四席あり、その中に一席ベビーカーを固定する装置付きの椅子がある。ただここへたどり着くのが大変。



しかも前乗りだから入口が狭い。入口の先頭の左右の椅子は二段ほど高い位置に設定されてあり、そこがまたベビーカーで乗ってくるお母さんをがっかりさせる。これ、広い後ろドアから運転手だけの裁量で入れないものだろうか?と いつも思う。




始発で乗車しようとするお母さんも大変だが、バスが発車して、時間帯によっては満員で、何個めかのバス停から乗車するお母さんも居る。そうなると、先客のお母さんとバッティングしてしまう。これを何度か見たことがあるが、さすがにバス通路でベビーカーがつっかえてそこで人間渋滞を起こすのだ。当然その後に控えた乗客も入るのだから入口付近は悪い空気に。イメージ掴めるだろうか?


固定概念を外してほしいが、お母さんはベビーカーだけで乗ってくるのではない。大抵はお買い物をして荷物が別にある。お母さんは恐縮してバスに乗ってくる。

ならばせめて先客でそこに座ってる乗客はベビーカー固定装置付きシートを譲るとかしてほしい。僕は、さっさと「すいやせーん、後ろ行きまーす」と最後部に向かう。誰か同じように着いてくればいいのに案外来ない。だから後部座席あたりはすいている。


そこからの風景を見ると、リュックを前担ぎしてる人ならそのリュックを降ろして手で持ちに持つ等、無言の思いやりができないものだろうか?と思う。(←お前も後ろに来んかい❗️等とも思っている)


 

……と書いてはみたが……

中には意地があるお母さんもいるんだ😅


人の世話にはなりたくないのか、単に面倒なのか、それともあくまでリーズナブルなバスで最寄りのバス停まで行く事に徹しているのか、案外頑張って専用シートに座らず足でベビーカーを固定し腕に力を入れ手すりバーに掴まる。そして、お母さんはそのまま目的地のバス停まで頑張ってしまう。母は強しとはこの事だ。

そして目的地に到着すると「すみません、降ります、ごめんなさい」と声を出し恐縮しながら下車するのだ。これが普通の風景になっている。この場面が50年前なら、誰彼ともなくそのお母さんを手伝っていた。


なんだか、日本人に本来備わっていて得意分野とする『思いやり行動』はいつ頃から失われてしまったのか?


だからか、タクシー乗り場にベビーカーで待ってるお母さんは案外多い。


タクシーならば乗車時ベビーカーを運転手が畳んでトランクに入れてくれるし、エントリーはしやすいし、家までドアtoドア。

それはそれでいいものの、今の世の中の経済事情では毎回タクシーで買い物はかなり負担を強いられるだろうし、交通費も馬鹿にならない。

東京のタクシーは一昨年に値上げしている。

賃金上がった・時給上がったとは言うけれど、物価も右肩上がりで国民全員ヒーヒー言ってる。

そんなお母さん達にとってバスはやはりリーズナブルだ。

バス会社もシート関係ではギリギリなのかも知れない。しかし一方では新しい形の深夜バスも登場。

驚く事に個室で椅子はリモコンでオットマン、さらにトイレ付きである。こんな技術力があるなら路線バスの工夫を是非してほしい。

公共の交通、なんとかならないものか?

 

座席を譲る話を書いたがそんなに面倒な事だろうか?

面倒な事には関わりたくない。

そりゃそうだ。だけど、これが自分の旦那・奥さん・恋人・家族・兄弟とかだったらどう思うのだろう?

どう行動するのだろうか?

そこに愛はあるんか?

ではないけど、なにかアクションを起こすのではないだろうか?


次に事故について書くが、この辺が案外今の日本人の気遣いとアクションを起こす事の分岐点になるかもしれない。


去年の暮、仕事が終わり、自転車で事務所に戻る途中、とある交差点に差し掛かった。歩行者信号は青、車側の信号は赤だが右折矢印。そこに歩行者であるおばあちゃんが右折する軽自動車に接触して倒れ、頭を打ったのだ。


その一部始終を見ていた僕と先輩はさすがに人命救助優先の行動を取る。僕は仕事でこうゆう場面に何度も遭遇する。




交通関係の仕事だからなのかもしれないが、この状況は一刻を争う。先輩は警察に連絡・接触した軽自動車の人との仲介、僕は二車線道路の交差点を行き来する交通整理を始めた。夕方だったので買い物する親子・下校途中の高校生・その他で交差点周辺は人でいっぱいになった。


交通整理をしていても現場を憐れむ顔をして通り過ぎる車両。交差点の歩道ではスマホでこの状況を撮る人達。




夕方なので交通整理も一苦労なのにいいご身分だと思いながら、事故車両とおばあちゃんを避けて貰うため車両に交互通行をお願いをした。

 

だが、その時だ。

何台かの車が止まってドライバーさんが出てきた。

歩道にいた高校生が先生を伴い手伝いに来てくれた。

買い物帰りの親子連れの一組が先輩の横にきて手伝いに来てくれた。


必死におばあちゃんを呼び掛けたり、両方向の交通整理を手伝いに来た保険関係のドライバーさん。空手教室の師範代もおばあちゃんを助ける為に救急車が来るまでの間できる限りの協力をしてくれた。

先生を伴ってきてくれた高校生達は事故を見た人が他に居るかも知れないと周辺の人達に聞きはじめだ。

人だかりになった歩道の中目撃者を探してくれた。




警察・消防・救急車が来たのは20分たってからの到着だった。

彼らが来てくれたので、あとは関わってくれた人たち全員が簡単に事情を説明する。その数八名。


たった八名なのか?

それとも八名も手伝ってくれたのか?


手伝ってくれた八名と互いに感謝を述べながら少し話したのだが、彼等がアクションを起こしたのには理由があった。


まず震災があった。

自然災害にあった。

故郷の家族・親戚・友人に被災者がいる。

さらに、被災地でボランティアをやった。

そういう人達だったのだ。

何か出来ることはないか?

その思いで手伝ってくれた。


もちろん、事故現場で集まった人達の中には関わりになりたくない人もいただろうし、あまり手伝いの人が多すぎるのも大変かも知れないと思って退いた人もいただろう。

僕はそんな彼等を否定出来ない。

誰だって緊急事態にはオロオロする。当然だ。

今回の場合、おばあちゃんが車と接触し頭から倒れて気絶状態を発見した時にすぐさま110番出来る人って案外少ないと思う。

普段の生活で110番に連絡するなんてほぼないからね。


僕は手伝ってくれた八名のアクションに対し本当に頼もしかったし、まだまだ日本人も捨てたもんじゃないと思った。


良くも悪くも、災害は人の心に何か訴えた。


(そのおばあちゃんの顛末なのだが、救急車が来る前に吐いた。手伝った人もまずいと思った事だろう。しかし、その予感どおり残念ながら二週間後に亡くなった)

………


少し話が大きくなりすぎた。

でも僕の敬愛するミュージシャンの原田真二は言う。

『人間一人一人が利己的にならず、優しさ溢れる気持ちを持てばそこには必ず優しさのコミュニティが生まれる』と。

ドキュメンタリーやニュースで社会情勢を見終わると真二さんの

『OUR SONG』を聞きたくなる。

出だしの「心に愛を持てるだろう?」は響く歌詞だ。



バスの話も事故の話もそうだし、Akiさんも言っておられたが、ちょっとした声掛けや、人には言えないが自分が出来る限りのアクションを起こせばいいのかな?と。

助けるとか手伝うのに『強制力』や『命令』は必要ないと思うし、それは専門家達の中でやってほしい。

(ここでは警察・消防・救急 )

ただ、いったいどうすれば思いやりをどういったアクションで起こせばいいのだろう?まずは勇気を奮い起こす事だが、その一歩が難しい。ただ必要に迫られればやれるのではないか?そんな気がする。


どうなんでしょうか?


まさに一人一人の宿題だ。