2025年1月13日。
京都の下鴨神社近くの『旧三井家下鴨別邸』にてアナウンススクールMNEの生徒さんによる
朗読発表会
『言葉であなたを包む時2025』が開催され
僕はその客席にいた。
最後の読み手の作品が終わり、会場内は大きな拍手で覆われ、昼の陽光がもがいてるかのように格子窓から突き刺していた。硝子1枚挟んだ温度が心地良い。
合わせて読んでみて↓
そして終わりかと思っていた発表会だったが、
欠席者があった為、急遽ピンチヒッターとして
代表の丸山観月さんが自らマイクを握る事となった。東京から来た僕にとってはラッキーな展開になった。
彼女がテーブルにすわり、本のページを開き、すっと息を吸って、冒頭の一文の欠片から、
空気が変わった。
椅子に深く少々だらしなく腰かけていた僕は前傾姿勢になった。
途端、生徒さんの朗読発表会では無く、丸山観月の朗読会となってしまった。
語る世界の風景が次第にピントが合ってくる。
なんだコレ。
その当時の驚きがコレ↓
呆けた僕は口を閉じて目線を丸山さんに集中した。淡々とした言葉表現によって創られる造形が、大きく身近に迫ってくる。
圧倒される。
ピンチヒッターの朗読はほんの10分少々で終わった。
これはなんだ?
それしか思いつかない。
それが、久しく見なかった本物の名人との出会いだった。
それから一年半。
その丸山観月さんから早めの招待を受けて、即参加表明をした。
それがつい一週間前に開催された【丸山観月 独演会】だった。
(2026年6月21日 『丸山観月言の葉ライヴ』 京都の喫茶店『フィガロ』にて)
梅雨前線が日本列島に差し掛かり出発当日は静岡県で線状降水帯が発生する恐れまで出てきたが、当日の朝までに事態は回避された。
これで余計な心配せずに本物の話芸に集中できる。
「行くぞ京都!」
会場に到着。
いきなり丸山観月さんと挨拶。
僕「おはようございます!お久しぶりですー!」
と言うと
観月「あ、あ、あー!うおーい(笑)❗️」
と擬音でお出迎え。
握手がわりの手掴み。
熱烈のお迎え。
案外握力強し。
久しぶりの再会に感動。
公演前の観月さんははるばる遠方から来た親戚にお年玉を渡そうとするおばちゃんそのものだった。
その他にも知った顔がたくさん。
アナウンススクールMNEが排出したラジオパーソナリティーさん達であり、その何人かは今や『講師』を務めていると言う。心やさしい人達が講師だから習う人は不安なくレッスンに集中できるだろう。
愛すべきパーソナリティさん達の記事がコレ↓
④ ハローにっこりMNE~サプライズ~ | カツサンドBOX
〜 開演 〜
即興ピアニスト(古後公隆)が
ポロンと音を鳴らす。
独演会の朗読の幕が上がった。
最初のひと呼吸から変わる世界。
ただ淡々と読んでる声から伝わる小説世界が繰り広げられる。
退屈など微塵にも感じない。
本物の名人の近くで話をきける事の喜び。
柔らかな声質。線の太い表現。
脳内に作り込まれる世界の空気感、音、季節、人、そして感情。
全部がいい。
気持ちがいい。
そう書くと
『彼女はプロなんだから当たり前だ』
そう言う人がいるかもしれない。
でも話芸という芸術からみればそこは違う。
単にうまくてプロだからというのは、日常で服を着こなしてる程度にすぎない。
演者としての丸山観月さんは、作品を『把握レベル』で作品の細胞の隅々まで理解できる名人。
そして彼女だけに与えられた『声』。
この人が語ってる時間だけはここに居たいと思う、そんな声。
そして朗読が始まれば、丁寧に作業をこなす職人のようにただ淡々と観客一人一人の脳内に物語を具現化させる。僕たち観客を別世界に連れてゆく。
ごく微細なディテール。
登場人物の機微。
匂い。
果ては気体に至る曲線まで。
技術ではない。
『術(すべ)』。
本物とはとはコレか?と
教えてもらってるようだ。
そんな人ってそうそういない。
彼女の繰り広げる世界から離れられなくなっていた。
次はどうなるのか?
それを知りたくなる。
そんな邪念が出現しては消す作業をしながら
できるだけ力を抜いて聞いていた。
聞き留めたかった。
今回丸山観月さんが表現したのは
人生の『点と線』。
『誇れるような人生ではなかったけれど
誰かにけなされる程みっともない人生だったとは思えない』
そんなメッセージが織り交ぜられてるのです。
作品の中の彼らは特別な人生を送ってる人では無く、ごくありきたりに、そこに置かれた場所で必死に生きている。
たまに起きる出来事に右往左往され、滑稽ながらも彼ら自身の体験から得た経験と倫理から、あとから続いてやってくる誰かの為に、ちょうどいい温度で物事の考え方を教えくれる。
僕等はまた、まるで登場人物の
『その他大勢の一人』として
僕たちは間近で見ながら同じようにその様子を見ている。
丸山観月さんの表現はその作品一つ一つに抑揚を与えない。
これは落語ではない。
これは朗読という『話芸』だ。
余計な抑揚は作品を死滅させる。
名人かそうでないかはここできまる。
丸山観月さんは間違いなく名人だ。
気が付いたら物語の終焉。
僕たちは元の場所にもどっていた。
作品の空気感を残しつつ徐々に姿を消してゆくのを感じていた。
朗読の後ろで奏でていたピアノの一音
その最後の一音が静かに響き
入れ替わりに
店の外から
雑踏が侵入してくる。
また ここへ戻ってきた
語りは終わった。
物書きとは活字でしか表現ができない人が社会との接点を求める表現者。そして作家が創った作品が数え切れない程存在する。
そんな作品群から、朗読家はその多くの作品に手を差しのべる救援者の一人だ。
埋もれて消える作品からが選ばれる作品になる。素敵な朗読家・丸山観月によって。
彼女に救い上げられた作品は幸せ物だ。
朗読という話芸によって昇華され、一人一人の『ここ』に置いてくれる。
二度と語られない切なさを残すが、次は作品を思い出す事の幸福感に浸れる。
それってとても楽しい。
それってなんだか素っ晴らしい。
これが朗読の持つダイナミズム。
こんな芸術が世の中にはある。
よくラジオで「今日はなんの日」とラジオパーソナリティーが教えてくれる。
どうやら365日、記念日はあるようだ。
今日 この日。
それにいま答えるなら
「京都で朗読を聞いた日」
→速報。
丸山観月朗読独演会 再演決定in滋賀 2026/10/21
だったが、既にsold out !
(丸山観月のファンの実に多いことか)
PS
あの喫茶店の空間で味わった
1対1のように語られた心地良い時間は
僕にとって、まさにこれ以上ない
【 Sweet Memories(甘美な記憶)】そのものだった。
