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散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

京都国立博物館で開催中の展覧会「日本、美のるつぼー異文化交流の軌跡ー」の後半です。以下の文章は公式サイトから引用しました。

 

 

  第2部 世界と出会う、日本の美術

 

Ⅰ 地球規模の荒波

 

アジアの海に張り巡らされた交易網を、大型船と火薬と宗教でからめ取っていったのが、大航海時代の西洋人でした。日本では、絹、薬、香料など、アジア諸国の産物を熱烈に求め、各国の商人たちはその貿易の利権を巡って熾烈な争いをくり広げました。日本の為政者は交易は欲したものの、異国からの侵略には神経をとがらせ、海外への窓口を絞って貿易の管理に努めました。

 

南蛮屏風

桃山~江戸時代(16~17世紀)

 

 

為政者の思惑をよそに、アジアの海はもとより、さまざまな文化的背景をもつ人々が現代の国家意識を超えた領域で活躍し、時には戦乱などによって移住を強いられながら、知識、技術、文化を各地に伝えました。そうして伝えられた品々が、日本の有力者たちの暮らしを彩りました。

 

【重文】鳥獣文様綴織つづれおり陣羽織じんばおり

豊臣秀吉所用

綴織:ペルシア(16世紀)仕立て:桃山時代(16世紀)

京都高台寺蔵

 

 

「唐物」を珍重する風潮は続きましたが、その言葉は次第に「舶来品」と同じ意味で用いられるようになり、琉球や東南アジア、ヴェネツィアの産物までもが「唐」の名のもとに愛好されました。

 

クリス

インドネシア(16~17世紀)

京都石清水八幡宮蔵

 

 

 

Ⅱ グローバル時代のローカル製品

 

17~18世紀にかけてグローバルに商品が流通する時代には、生産地が多元化され、各地に特有の素材や技法で類似品が作られました。たとえば、インド製の黒檀家具が西洋の木彫で写され、同じ規格で日本製の蒔絵の家具が注文されました。

 

花唐草蒔絵螺鈿交椅こうい

江戸時代(17世紀)

京都国立博物館蔵

 

 

あるいは、西洋のガラス製品と同じ仕様で、日本や中国において磁器や漆器の角徳利が作られました。さらに、日本や中国の磁器から学んだ西洋の磁器工房で、日中の漆器の飾りを模した磁器食器が誕生したりもしました。

 

楼閣山水蒔絵角徳利

江戸時代(17世紀)

京都国立博物館蔵

 


江戸時代の日本では、異国からもたらされたキセルやカルタを漆器のデザインに取り入れたり、舶来の稀少な染織品を着物に仕立てたりと、アイデアとセンス、財力次第で、暮らしに異国情緒が取り入れられていきました。

 

天正カルタ蒔絵太鼓胴

桃山~江戸時代(17世紀)

京都国立博物館蔵

 

 

Ⅲ 技術移植と知的好奇心

 

手に職のある人々は、しばしば、戦争、宗教、植民地主義などに巻き込まれて移住を余儀なくされ、その結果、当人たちの意思にかかわらず異文化間の技術移植を果たすことがありました。豊臣政権による朝鮮出兵の後、朝鮮半島の作陶技術が西日本各地に根づいたことは有名です。

 

真熊川茶碗《銘 花白川》

朝鮮半島・朝鮮時代(16世紀)

 

 

江戸時代には、朝鮮の外交使節が和平・友好のために12回にわたって来日しました。江戸に向かう使節団の華やかな行列は数百人におよび、各地で朝鮮旋風を巻き起こすほどでした。知識人たちの交流から生み出された詩や絵画は、今も日本各地に残されています。

 

二十四孝にじゅうしこう図巻ずかん《乾巻(部分)》

土佐光祐ほか筆

江戸時代(18世紀)

 

 

こうした交流は、出島から江戸へ赴いたオランダ商館長のまわりでも起きました。その一行には、博物学の専門家や芸術家肌の館員もいて、西洋の文化や学問に関心をよせる好奇心旺盛な日本人との生き生きとした交流の証しがいくつも伝わります。

 

 

Ⅳ 新・中国への憧れ

 

異文化交流というと現代では西洋文化との交流を思い浮かべがちですが、近世を通じて中国への憧れが衰えることはありませんでした。特に京都では、江戸時代の初めに新たに流入した中国文化によって、憧れに拍車がかかったともいえます。

 

十八羅漢坐像のうち羅怙羅尊者らごらそんじゃ

范道生はんどうせい

江戸時代 寛文4(1664)年

京都萬福寺蔵

 

 

明末清初の動乱期に大勢の中国人が日本へ渡ってきました。そのなかで最大のインパクトをあたえたのは、京都の宇治に黄檗山萬福寺を開いた隠元隆琦(1592~1673)です。明朝体の書体やインゲン豆、原稿用紙などを伝えたことで知られますが、芸術にも大きな足跡を残しました。

 

隠元・木庵・即非像

喜多道矩どうく筆 木庵性瑫もくあんしょうとう

江戸時代(17世紀)

神戸市立博物館蔵

 

 

煎茶、文人趣味に基づく詩書画、中国色の濃厚な仏像、さまざまな楽器……、その影響で清朝の文物が流行します。江戸時代に生まれた新たな中国趣味は、昭和の戦前期まで続く大きな潮流となりました。

 

【重文】洞庭赤壁どうていせきへき図巻

池大雅筆

江戸時代 明和8(1771)年

京都国立博物館蔵

 

 

  エピローグ 異文化を越えるのは、誰?

 

美術は、異文化間の壁を越えるでしょうか。この問いを考えるために「吉備大臣入唐絵巻」に注目します。

 

吉備大臣入唐絵巻 巻第四(部分)

平安時代(12世紀)

米国ボストン美術館蔵

 

 

この絵巻は、昭和7年(1932)にボストン美術館が購入し、翌年、公開しました。折しも日本への国際的な批判が高まるなか、ボストン市民はこの作品を好意的に受けとめたと、当時、ボストンに滞在していた美術史家の矢代幸雄(1890~1975)が回想しています。彼は、美術のもつ普遍的な魅力に感嘆しつつも、それだけになお一層、その力が政治的なプロパガンダに利用されることに警鐘を鳴らしています。

 

 

美術はたしかに文化の壁を越えていきます。政治状況にかかわらず、時を越え、言葉を越えて、人々の心に触れることがあります。しかし、それは、異文化を受けとめる度量や受けいれる姿勢、私たち自身の異文化と出会う力にかかっているのかもしれません。

 

 

  感想など

 

1900年のパリ万博から始まり、弥生時代に遡って昭和初期で終わる。展示の構成が分かりやすく、頭にスッと入ってきました。順路が明確で、混んでいる割に動線がすっきりしているのも良かったです。

 

 

それから、①太山寺所蔵の龍泉窯、中国・南宋~元時代(13~14世紀)の《青磁花瓶》②香雪美術館所蔵、15世紀室町時代に雪舟が描き、李蓀・朴衝文が賛を書いた《山水図》③神戸市立博物館所蔵、17世紀インドで製作された《貝貼小洋櫃》を見た時、神戸市民として嬉しくなりました。

 

 

ご縁のなかった作品は図録で補おうと思います。

 

 

追加で大文字飴本舗の《直火焚べっ甲》を購入。早くも夏日が来てしまい、冷蔵庫に入れたまま開封していません。

 

 

ゴールデンウィーク初日から始まった「日本、美のるつぼ」展も今日で終わりです。最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

 

おわり