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散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

大阪関西万博開催記念展が6月15日(日)で閉幕し、私の美術館&博物館巡りも一段落着いたところです。同時期に神戸市立博物館では、「池長いけながはじめの南蛮美術ー言葉から紡ぐ創作」が開催されていました。

 

 

以下の文章は神戸市立博物館HPからの引用です。

 

  概要

 

池長孟(1891~1955)は神戸出身の蒐集家です。井上徳左衛門の長男として出生後すぐに、神戸市会議長等を務めた池長通の養子となります。池長家は元々同地で瓦屋業を営むかたわら、家屋や土地の貸付業で財を得ていました。

 

 

池長孟が蒐集の対象とした「南蛮なんばん美術」とは、15世紀以降に南方の航路を通じてアジア圏と交流を持つようになったポルトガルやスペインなど、ヨーロッパ諸国からもたらされた文物や人に影響を受けて、日本で制作された美術品を指します。

 

 

池長孟は、南蛮美術蒐集家としてだけでなく、植物学者・牧野富太郎(1862~1957)への経済的支援や、育英高等学校の校長を務めたことでも知られています。

 

 

戦後の税制対応のため、昭和26(1951)年に南蛮美術コレクションと美術館を神戸市へ委譲。そのコレクションは、市立神戸美術館、市立南蛮美術館を経て、神戸市立博物館へと継承されています。

 

 

  プロローグ 蒐集家・池長孟

 

狩野内膳《南蛮屏風》、《泰西王侯騎馬図屏風》、《聖フランシスコ・ザビエル像》…。池長の蒐集品には、今日でも美術史を語る上で欠かすことのできない南蛮美術の名品が揃います。

 

 

しかし、池長は素朴な長崎版画から蒐集の歩みを進めていきました。昭和2(1927)年、大阪内本町うちほんまちの「べにや美術店」で購入した2点の長崎版画を皮切りに、その特色あるコレクションを築いていきます。

 

《魯西亜船》

江戸時代、18世紀後期~19世紀中期

 

 

  第1章 池長孟を巡るモノ・人ー蒐集品への思い

 

南蛮美術の蒐集に生涯をささげた池長。美術史家、芸術家、美術商などと、幅広い交流を持っていました。今日に遺された手紙のやりとりや「池長孟自筆備忘録」、日記などに目を通すと、蒐集品にまつわるエピソードも少なくありません。

 

《蒔絵南蛮人洋犬文硯箱》
桃山~江戸時代、16世紀後期~17世紀初期

 

池長孟《杜若図》
大正~昭和時代、20世紀

 

 

  第2章 南蛮美術蒐集

 

池長は昭和5(1930)年9月20日に、自身の蒐集品の中で初めての肉筆画作品となる荒木如元《瀕海都城図ひんかいとじょうず(江戸時代、19世紀前期)》を入手。以降、南蛮美術の肉筆画を中心に蒐集の対象とし、その内容を充実させていきます。

 

伝平賀源内《西洋婦人図》

江戸時代、18世紀後期

 

 

「蒐集は創作である」という理念のもと、池長は無作為に美術品を集めるのではなく、「南蛮美術」という明確な対象を定め、それらを系統立てて蒐集しました。蒐集当時、南蛮美術は日本美術史の俎上に載っていなかった分野でした。生涯を通じて、それらを蒐集し、大系化したことに大きな功績を見出せます。

 

 

【重文】狩野内膳《南蛮屏風》

桃山時代、16世紀末~17世紀初期

 

右隻

 

左隻

 

 

【重文】《泰西王候騎馬図屏風》

江戸時代、17世紀初期

 

 

  第3章 池長美術館開館

 

南蛮美術の蒐集を一段落させた池長は、昭和11(1936)年頃から自身の蒐集品を公開する美術館の建設に着手します。昭和13(1938)年に神戸市葺合区熊内くもち町に竣工した池長美術館には、南側に自邸、西側に蒐集品を保管する倉庫が併設されていました。

 

 

池長美術館は昭和15(1940)年4月1日開館。以降、昭和19(1944)年まで各年4~5月の2ヶ月間、池長自身が設定したテーマに基づいて、展観が行われました。

 

 

佐竹曙山《椿に文鳥図》

江戸時代、18世紀後期

 

 

その思いは、第2~4回展観目録の言葉、「この宝物は既に皆様のものなのですから、充分その価値を確認して、皆様のお力によって、愛護して下さいますやう偏にお願ひ申上げます。」からもうかがえます。

 

 

  第4章 創作(コレクション)をつなぐー『南蛮美術総目録』の刊行

 

第2次世界大戦終戦後も、池長美術館が活動を再開することはありませんでした。戦後、財産税の徴収などの対応に追われた池長は、自身が蒐めた南蛮美術の数々を神戸市に委譲することを決断します。委譲後、池長は昭和26(1951)年7月に開館した市立神戸美術館の名誉顧問に就任しました。

 

 

一方、池長は先の大戦中から構想を練っていた蒐集品の目録製作を進めていきます。戦後の混乱を耐え抜いた池長の集大成ともいえる『南蛮美術総目録』は、昭和30(1955)年に刊行されました。

 

 

  エピローグ 池長孟が遺してくれたもの

 

昭和13(1938)年の阪神大水害、同20(1945)年の神戸大空襲、平成7(1995)年の阪神・淡路大震災…本展覧会の出品作品は、戦災、災害などを乗り越えて、今日まで存在しています。池長自身が遺した言葉をみても、蒐集品を守り、伝えていくという強い意志ははかり知れません。

 

 

【重文】《四都図・世界図屏風》

江戸時代、17世紀初期

 

 

 

【重文】狩野派《花下群舞図屏風》

桃山時代、17世紀初期

 

右隻

 

左隻

 

  感想

 

池長孟と神戸市立博物館の関係がよく分かる展示でした。池長コレクションなら常設で見れますが、これほど大々的に南蛮美術を採り上げた展覧会は初めてです。一通り見ただけではもの足りず、図録を買いました。

 

 

5月中旬に訪問したので、修学旅行生にかち合いました。所要時間が短いのか、彼らは展示物をサーっと見て嵐のように去って行きますね。一般客は少なく、兵庫県民でなければ、京都国立博物館開催の「日本、美のるつぼ」に行ってしまうかなと思ったりしました。