京都文化博物館で見た「カナレットとヴェネツィアの輝き」の続きです。以下の文章は文博のHPから引用しました。
4. 同時代の画家たち、後継者たち─カナレットに連なる系譜の展開
ベルナルド・ベロットやフランチェスコ・グアルディは、カナレットの影響のもと、異なるアプローチによるヴェドゥータを数多く制作しました。カナレットの甥ベロットは、後にドレスデンやワルシャワで宮廷画家としての立場を獲得します。残されたベロットのヴェドゥータは、第二次大戦後、空襲で破壊された二つの街の再建に大きく寄与することになりました。
カナレットの約10年間に及ぶ英国滞在を通して、英国でもまた、カナレットの影響を受けた画家によるヴェドゥータが多数制作されます。それらは同時に、カナレットによるヴェドゥータの独自性を浮き彫りにするものでもあるでしょう。
以下、第4章で見た作品です。作家別に並べました。
ミケーレ・マリエスキ(1710~1743)
《リアルト橋》1740年頃
カナル・グランデ(大運河)のほぼ中央に架かるリアルト橋。16世紀に大理石で建設された、ヴェネツィアを象徴する最古の橋であります。活気に満ちた、この街の商業活動の中心地の日常風景を、マリエスキは華やかな色彩を駆使して描きました。
こちらに背を向けて船を漕ぎ出す画面中央手前の水夫、その右隣りの船に乗る大仰な身振りの男性たち、岸辺の二人の貴族が一段と目を引きます。このような装飾的で演劇的とも言える構成は、作者が初期に舞台デザインを手掛けたことと関連します。
岸近くの水夫が乗る樽の蓋には、マリエスキのイニシャル「MM」の署名があります。カナレットや弟子のアルボットらと混同されてきた作品の中で、本作は重要な基準作とされてきました。
ベルナルド・ベロット(1722~1780)
《ルッカ、サン・マルティーノ広場》1742~1746年
トスカーナ州北西部の街ルッカに取材したヴェドゥータ。建物と空の調和、複数の人物グループと動物や馬車の巧みな配置など、洗練された構図が光ります。石や煉瓦などの細部の質感を丁寧に捉えた、生真面目な作品です。
1742年、20歳のベロットはローマ旅行に出かけました。その際ルッカに立ち寄った成果が、本作および大英図書館が所蔵する5点の関連素描です。
素描の1点の裏面に、同年夏までともに働いた弟ピエトロの名が記載されていることから、これらは、ヴェネツィアの帰国後に現地でのスケッチを元に仕上げられたものと考えられています。この後、ペロットは活動の拠点を国外に移しました。本作は、イタリア国内を主題とする、青年期の貴重な一点です。
作者不詳
《カナル・グランデ:サンタ・ルチア聖堂とスカルツィ聖堂、ヴェネツィア》1740~1760年頃
ヴェネツィアの北、カンナレージョ区のカナル・グランデ(大運河)沿いの風景。画面左には殉教した聖女に因むサンタ・ルチア聖堂、中央右にサンタ・マリア・ディ・ナゼレ聖堂(別名スカルツィ聖堂)が描かれます。現在、本土から鉄道でヴェネツィアに向かうと、目の前にカナル・グランデが広がるサンタ・ルチア駅に着きます。
この駅舎を建設するため、1860年にサンタ・ルチア聖堂は取り壊され、またサンタ・マリア・ディ・ナゼレ聖堂の前には、本作には描かれていないスカルツィ橋が1858年に建設されました。時にヴェドゥータは、写真や画像にない時代の歴史的な記録資料としての役割を果たすことを示す作品です。
フランチェスコ・アルボット(1721~1757)
《アーチのある空想的ヴェドゥータ》
前景に大規模な建築物とその遺構と彫像、小人物像のグループを配し、中景と遠景に空や山、水辺の自然描写を組み合わせた、独創的で想像力あふれるカプリッチョの景観画連作です。作者のアルボットはマリエスキの弟子。師匠没後に「第二のマリエスキ」と名乗り、師匠の絵画作品の複製を制作しました。
本展出品作4点のうち3点には、マリエスキの原画が存在します。原画が卓越した絵画技術と独自の発想を賞賛される一方、アルボットの複製は原画への忠実さを心がけているものの、建築物のヴォリュームや風景表現、人物像の身ぶりなど、師匠のレベルに到達していないとの指摘もあります。
《騎馬像とオベリスクのある空想的ヴェドゥータ》
《ラグーナのある村の空想的ヴェドゥータ》
《パラッツォのポルティコとオベリスクのあるカプリッチョ》
フランチェスコ・グアルディ(1712~1793)
《小さな広場と建物のあるカプリッチョ》1759年
歴史を感じさせる建物に囲まれた広場を、様々な人物が行き交う。何気ない日常の情景です。「カプリッチョ」とは、イタリア語で「気まぐれ」を意味し、美術では「空想的な思いつき、奇抜な着想」を指します。グアルディは本作で、虚実が入り混じる空間を創造しました。
画面右側の正面が崩れかかった建物は、ヴェネツィア最古とされるサン・ジャコメット聖堂から着想したイメージの改変であることが、本作とよく似た類作から判明しています。
また、この聖堂の前には実際に小広場があるが、周囲は当時から建築物に取り囲まれており、河岸やその先の風景がのぞめるわけではありません。ヴェドゥータ制作の経験を元に、作者の力量と個性が発揮された作品です。
《サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂》1770年頃
サン・マルコ広場からカナル・グランデ(大運河)を隔てて対岸に位置する、白いクーポラ(丸屋根)が特徴のサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂。一方、ヴェネツィアの東端サンテレナ島側からカナル・グランデへ入るとき左手に見える、サン・ジョルジュ・マッジョーレ聖堂。
ヴェネツィアを語る上で欠かすことのできない歴史的な宗教建築と、様々な船やそれらを操舵する人々を活写した、海の都らしい対のヴェドゥータです。
《サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂》1770年頃
グアルディは、宗教画や人物画などを主に手がけた後、1750年代後半頃にヴェドゥータを制作し始めました。このジャンルは高い収益を見込める市場であり、10年近いカナレットのヴェネツィア不在が、参入のきっかけになったのです。
グアルディの作風は、初期の明確な輪郭線と固有色を用いたやや硬い画面から、より軽やかなタッチと色彩によって輝く水面の反射や大気の移り変わりを捉える方向へと、徐々に変化していきます。それとともに正確な景観描写は減少していきました。
特に晩年のヴェドゥータには、ターナーや印象派など19世紀以降の画法の先駆けと思われる作品も見られます。よってこれらは、グアルディの移行期の様式を物語る対作であります。
《塔の遺構と彼方に村のある川辺の風景》1770~80年頃
構図や色調がよく似た、グアルディ後期の対の作品です。川、樹木、空、丘や山などの様々な風景要素と、釣り人たちなどの複数の人物群が組み合わされ、聖堂を含む家々や廃墟の塔が趣を添えます。
《塔の遺構のある丘の風景》1770~80年頃
塔の遺構のモチーフは、主にヴェネツィアで活動し、廃墟趣味のカプリッチョや風景画で知られるマルコ・リッチからの影響が指摘されています。
「塔の遺構」シリーズには、他の様々な要素(馬上の人物、嵐の海、島など)で変化をつけた、複数の類似のヴァリエーションがあります。このような小型のカプリッチョあるいは空想的風景画のジャンルが人気を博したことは、多数の作品が現存することから推測できます。
ウィリアム・ジェイムズ(生没年不詳)
《スキアヴォーニ河岸、ヴェネツィア》
作者は、英国滞在時のカナレットの弟子か助手だったといいます。真偽は不明ですが、本作とはほぼ同じ構図のヴェドゥータをカナレットも描いています。
スキアヴォ―ニ河岸は、パラッツォ・ドゥカーレ(元首公邸)の前から東に続く、運河沿いの通り。画面右では河岸に建ち並ぶ建築物の前を人々が行き交い、中央から左では様々な船が岸壁から湾までを埋め尽くします。カナレットの落ち着いたタッチとは対照的に、船や建物から人物や波紋にいたるまで明瞭な色彩で描き分けるジェイムズは、「硬質で味気ない」と評されました。
とは言え本作は、カナレットが18世紀の英国絵画界に及ぼした影響力と、同国におけるヴェドゥータの人気や影響を測る上でも重要な作品です。
ウィリアム・マーロー(1740~1813)
《カプリッチョ:セント・ポール大聖堂とヴェネツィアの運河》1795年頃?
ロンドンのセント・ポール大聖堂とヴェネツィアの運河を同一画面にまとめた、カプリッチョ(綺想画)です。奇想天外なアイデアを意味するカプリッチョとは、実在するものと空想上のものを自在に組み合わせて構成された架空の景観画です。作者のマーローは、異なる土地のランドマークを合体させるという大胆な発想と構成で、虚構の大空間を創造しました。
5. カナレットの遺産
カナレットが定着させたヴェネツィアの「絵になる」イメージは、多くの画家たちをも魅了します。19世紀後半の印象派の萌芽を感じさせる作品の存在に気づかされる一方で、当時のロマン主義的な潮流を背景に、ヴェネツィアの暗部を描き出す作品も登場します。それはカナレットが導いたヴェドゥータの世界とは異なる、極めて近代的なヴェネツィアのイメージでした。
以下、第5章で見た主要作品です。
ウィリアム・エティ(1787~1849)
《溜息橋》1833~1835年
カナレットのヴェドゥータにも描かれていたパラッツォ・ドゥカーレ(元首公邸)とパラッツォ・デッレ・プリジョーニ(牢獄)、その間を繋ぐ「溜息橋」が描かれています。牢獄の戸口から、処刑された裸の囚人が、2人の男性によって運ばれています。作者のエティは、ヴェネツィアのランドマークの間で人知れず死んだ囚人に思いを馳せながら、大胆な構図のもと描きだしました。
ウジェーヌ・ブーダン(1824~1898)
《カナル・グランデ、ヴェネツィア》1895年
クロード・モネ(1840~1926)
《パラッツォ・ダーリオ、ヴェネツィア》1908年
1908年、初めてヴェネツィアを訪れたモネは、37点におよぶ油彩の連作を描きました。連作「ヴェネツィア」に描かれたのは、いずれもアカデミア橋以東のカナル・グランデ沿いの風景です。
モネの眼差しが捉えるのは、その景観でも人々の営みでもなく、水面に輝く光や街の空気、曖昧な輪郭線をもつ建築物とゴンドラであり、その周囲は大胆にトリミングされています。平面的な絵画世界全体に、ヴェネツィアの水と光、大気が大きく広がっていきます。
感想など
イギリス・ロマン主義の画家、ウィリアム・ターナー(1775~1851)は、カナレットの影響を受け、モネなどフランス印象派に影響を与えた人物です。今回の展示、ターナーの作品がなかったためか、最後に急ピッチで1900年代に突入した感がありました。
展示物を見た後は、特設ショップでお買い物。カナレットの絵は私の好みなので、《カナル・グランデのレガッタ》をモチーフにしたクリアファイルを購入。
それから、イタリアのカーニバル時期に食べられる揚げ菓子「ガラニ」を購入。白ワインとレモンの味で、見かけよりさっぱりしていて好評でした。
おわり