カナレットとヴェネツィアの輝き ① | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

4月8日(火)京都文化博物館。

 

 

ろうじ店舗に、文博のマスコットキャラクター「まゆまろ」が登場。

 

 

この日は特別展「カナレットとヴェネツィアの輝き」を見に行きました。

 

 

18世紀イタリアの音楽とともに、時空を超えたヴェネツィアの旅が始まります。以下の文章は、文博のHPや展示パネルから引用しました。

 

 

  カナレットについて

 

1697年、劇場の舞台デザイナー兼舞台背景画家を父に、ヴェネツィアに生まれました。本名ジョヴァンニ・アントニオ・カナル。1719年、父に伴い、オペラの舞台デザインの仕事のためローマに赴き、景観画家の先達と知り合ったと言われています。父と区別するため「カナレット(小さなカナル)」と呼ばれました。

 

 

グランド・ツアーと呼ばれる貴族の周遊旅行が最盛期を迎えた18世紀、出身地ヴェネツィアの都市景観を、壮麗かつ緻密に描いた景観画「ヴェドゥータ」で名を馳せます。オーストリア継承戦争でヴェネツィアの旅行者が減ったことから、1746年からはパトロンのいる英国に長期滞在。1768年71歳、ヴェネツィアで没しました。

 

 

  1. カナレット以前のヴェネツィア

 

ヴェネツィアにおける都市を描く伝統は、15世紀にまで遡ります。遠近法の成立が都市景観に対する関心を高めたことで、「鳥瞰図」や「物語絵」として、都市のイメージが客観的に再現されるようになりました。

 

ヤーコポ・デ・バルバリ(1460/70年頃~1516以前)

《ヴェネツィア鳥瞰図》(第3版)1500年(16世紀後半の刷り)

 

 

その後16世紀末から17世紀にかけて北方からやってきた画家たちの描くラグーナ(潟)の景観が、後のヴェドゥータの発展へと繋がっていきます。

 

ネーデルラントの画家

《ラグーナから見たヴェネツィア全景》1580~1600年頃

 

 

一方、18世紀、時代を代表する画家として国際的に活躍していたのが、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(1696~1770)でした。

 

《アントニウスとクレオパトラの出会い》1747年頃

ヴェネツィアの裕福な貴族ラビア家の邸宅パラッツォ・ラビアの大広間装飾画のモデッロ(油絵下絵)で古代ローマの歴史の一場面が描かれています。

 

白いドレスに身を包んだクレオパトラの手に接吻するのは、赤いマントを羽織った甲冑姿のアントニウスです。完成作の壁画はティエポロの代表作になりました。

 

 

  2. カナレットのヴェドゥータ

 

カナレットがヴェドゥータを描き始めたのは、1719年頃とされています。光と影の効果を追求した初期作品からは徐々に変化し、1730年には、澄み渡る空や輝く水の波紋の表現、定規を用いて堅固さを強調した建物の描写など、カナレットの定型的な表現が定着していきました。

 


ヴェドゥータ本来の主役ではない人物描写もまた、カナレットの特徴です。様々な仕草をした人々の姿が整然とした街の景観に動きを与えると同時に、観る者を飽きさせない魅力の一つとなっています。

 

 

カナレットのヴェドゥータは、目に見える景観をそのまま再現しているわけではありません。ありえない建物の組み合わせや、景観を描く視点の高さを工夫することで、人々が「見たいと思っている風景」を画面にとどめることに成功しました。

 

 

以下、撮影OKだった作品です。

 

カナル・グランデのレガッタ

1730~1739年頃

 

ヴェネツィアの華やかな祭りの中でも一層エキサイティングなのが、レガッタです。カナル・グランデ(大運河)で行われるボートレースで、時には賓客を歓迎するためにも開催されました。

 

華やかに彩られた舟や、漕ぎ手が身につけるそれぞれのユニフォームが祭りの雰囲気を盛り上げます。建物の窓や屋根にも、祭りを見物するたくさんの人々の姿を見ることができます。

 

 

モーロ河岸、聖テオドルスの柱を右に西を望む

1738年頃

ヴェネツィアにおける政治の中心地であり、海からこの地を訪れる旅人の玄関口となる、パラッツォ・ドゥカーレ(元首公邸)付近が描かれています。

 

右側にはサン・マルコ小広場への入り口にある2本の柱のうち、西側に立つ聖テオドルスの柱があり、カナル・グランデ(大運河)の対岸にはサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂とドガーナ(税関)が見えます。


ただ実際は、パラッツォ・ドゥカーレ前の広場には本作の視点を確保できるような高さの建物はありません。まるでドローンを用いたような視点であるにもかかわらず、あくまで「自然」であるところに、カナレットの描写のマジックが遺憾無く発揮されています。

 

 

昇天祭、モーロ河岸に戻るブチントーロ

1738~1742年頃

 

数多いヴェネツィアの祝祭の中でも特に重要なのが、「海とヴェネツィアの結婚式」が行われる、キリスト昇天祭です。ブチントーロと呼ばれる御座船でアドリア海に漕ぎ出したドージェ(元首)が、「海よ、汝と結婚する」と唱えながら金の指輪を海に投げ入れます。


緋色の屋根に緋色の旗を掲げているのがブチントーロで、金箔を貼り廻らした船体が輝いています。カナレットは、制作にカメラ・オブスキュラを用いていました。まるで動き出しそうな人々の描写は、この機械に映った動画から着想を得たのかもしれません。

 

 

ロンドン、北側からウェストミンスター橋を望む、金細工師組合マスターの行進

1750年頃

イギリスの政治の中心地、ウェストミンスター付近を、テムズ川にかかる橋越しに眺望した作品。ウェストミンスター橋の完成が1750年であり、この年の5月の新市長就任日の様子を描いていると思われます。

 

新市長は屋根の青い大型の平底舟に乗り、ウェストミンスター寺院に隣接したウェストミンスター・ホールへ宣誓のために向かっているところです。画面右手で新市長の舟に並走する赤い屋根の舟が、金細工師組合の舟と思われます。

 

同時代の出来事を精密に描いていますが、視点はかなり高く、また、この橋の工事完了は実際には11月なので、いずれにせよこの眺めはフィクションです。カナレットは場面を華やかにするため、川面に沢山の舟を追加しました。

 

 

ロンドン、テムズ川、サマセット・ハウスのテラスからロンドンのザ・シティを遠望する

1750年頃

《ロンドン、北側からウェストミンスター橋を望む、金細工師組合マスターの行進》と対の作品。

 

画面左手前がサマセット・ハウス。川沿いに見えるセント・ポール大聖堂の円蓋から画面右奥に向かって、ロンドンの商取引の中心ザ・シティが位置します。カナレットは、画面左のテラスの欄干を川に沿って急激に奥へと引っ込ませ、そこから川向うへと遠景を拡げています。

 

ウィッグ党は古代ローマ、そして海洋覇権国家であった16世紀のヴェネツィア共和国を称賛していたと言われますが、ザ・シティに立ち並ぶ尖塔が彼方まで続いていく様子は、鑑賞者の誇りを満足させたであろうし、カナレットの描く晴朗な空は、そこに一役買っているように思われます。

 

 

ロンドン、ヴォクスホール・ガーデンズの大歩道

1751年頃

 

ヴォクスホール・ガーデンズは、18世紀のロンドンで人気のあった遊園地です。貴族も平民も料金を払えば入場できました。ゴシック、古典主義、中国風等々の建物や人工の廃墟、彫像、柱廊があり、木陰から楽団が生演奏をしました。夕方5時閉園ですが、ロンドンは夜9時頃までは明るいです。そして暗くなれば園内にはランプが燈り、透かし絵が目を楽しませました。

 

画面右側には道沿いに楽団のパヴィリオン、オルガン・ハウス、トルコ風の食事を供するテント等が並んでいます。そぞろ歩くのが優雅な衣装の人ばかりなのは、画家の忖度でしょうか。当時の版画を見ても、道幅もここまで広くないです。これは発注者が「こうあれかし」と望んだ遊興の場面であり、必ずしも現実の再現ではないのです。

 

 

ロンドン、ラネラーのロトンダ内部

1751年頃

オーストリア継承戦争でヴェネツィアの旅行者が減ったことから、仕事を求めたカナレットは、1746年に渡英します。

 

本作は、ロンドンの遊興施設「ラネラー」の目玉であった巨大なロトンダ(円柱形建築物)を描いた作品です。直径約46メートルの室内には演奏席があり、その周囲を52のボックス席が囲みます。幼い頃のモーツァルトもここで演奏しました。


窓や戸口から差し込む光が影をもたらし、シャンデリアが複数吊るされたロトンダの内部空間を、立体的かつダイナミックなものとして演出しています。

 

 

ローマ、パラッツォ・デル・クイリナーレの広場

1750~1751年頃

ローマにある名所の一つ、パラッツォ・デル・クイリナーレとその広場の景観を描いた作品です。

 

画面を大きく占めるこの館は、1592年にクレメンス8世が定めて以降、1870年まで教皇公邸となりました。現在は共和国大統領官邸。建物と向かい合う一組の馬と男性の像は、18世紀当時はギリシアの彫刻だと言われていましたが、現在は古代ローマで信仰されていた像だとされています。

 

 

ナヴォナ広場の景観

1750~1751年頃

《ローマ、パラッツォ・デル・クイリナーレの広場》と対になる作品。

 

広場の中央に立つオベリスク付きの大きな噴水が、ジャンロレンツォ・ベルニーニによる有名な四大河の噴水で、ローマの景観画で定番の名所であるのも、クイリナーレ広場と同様です。

 

画面の中央近くにそびえ立つサン・タニェーゼ聖堂の円蓋が、整然と並ぶ他の建物に対し、やや唐突で、透視図法が狂っていると言えますが、確かに見上げる感覚は強調されています。

 

 

昇天祭、モーロ河岸のブチントーロ

1760年

 

本作に描かれたのも、キリスト昇天祭の日のモーロ河岸です。右側に、金箔が光り輝くブチントーロが描かれています。本作で特徴的なのは、光の反射の表現です。ブチントーロやゴンドラに散りばめられた光の粒が、船を漕ぐ人々にも降り注いています。


最も明るい部分を点で描く方法は、晩年に近づくにつれて顕著になっていきました。そしてその色調もまた、少しずつ暗さが加わり、コントラストが強調されていきます。

 

 

  3. カナレットの版画と素描

 

写真がまだ存在しない時代において、複製を可能とする版画は、極めて価値のあるメディアでした。
 
 
1735年に刊行された『ヴェネツィアのカナル・グランデの景観』は、カナレットの原画を元にアントニオ・ヴィゼンティーニが彫版した作品集で、カナレットのパトロンであるジョゼフ・スミスが企画しました。発注のための見本帖だったために、機械的で規則的な手法で制作されています。
 
 
一方、カナレットが自刻した版画作品は、より自由な、独自の筆致を残しています。素描もまた、油絵にはない、より自由な画家の手の痕跡を伝えます。
 
《ドーロ風景》1744年以降に刊行
 
《サン・マルコ広場でのコメディア・デラルテの上演》1755~1757年?
 
 
カメラ・オブスキュラ(Camera Obscure)とは、光学の原理を利用して外の景色を投影する装置で、今日の「カメラ」の語源となりました。
 
 
投影された景色は反転していますが、そのイメージをなぞると、正確な遠近法を用いて描くことが可能となります。カナレットは、カメラ・オブスキュラを用いて制作した画家の一人でした。
 
 
展示室にてカメラ・オブスキュラを体験。箱の中を覗き込むと、ヴェネツィアの溜息橋と人が反転して見えました。
 
 
つづく